三島 由紀夫の自刃から40年

★写真は道の先に見える東京タワーです。
★本日は放送作家協会の月一の理事会が六本木で行われました。
★活発な議論が交わされました。
★終わって、Kさんそして別のKさんと3人で暫しお茶。
★新宿へ出てラーメンを食べて(これが軀によくないな)西口地下でやっていた古本市にしばし引っかかって……
★結局椎名 麟三 自選戯曲集全一巻という古本を買ってきました。
★おそらく椎名さんの戯曲等今読もうと思っても中々手に入りません。「第三の証言」を早稲田の学生劇団かどこかで見た記憶はあるのですが、評判は聞いていても、実際にちゃんと読んだりはしていないので、おそらくこれは最後のチャンスだろうと求めてきました。
★そのほかにも貴重なラジオドラマの本等あったのですが、きりがないので諦めました。
★まあ、ゆっくり椎名さんの戯曲読んでみようと思います。
★そういえば今日は三島 由紀夫が自殺して40年目だとか……
★40年前のその日、昼頃モノクロのテレビで自衛隊の市ヶ谷駐屯地からの中継を見てショックを受けたものです。
★阿佐が谷の4畳半か6畳に住んでいて、その日渋谷の並木橋のCM制作会社に勤めていた家人の給料日で、仕事もせずまるで紐のような生活をしていた小生がその給料を家人に会って受け取るために新宿で乗り換えなければならないのに、その頃たまたま三島由紀夫の小説春の嵐等を読んでいたので、彼の自刃にすごいショックを受け、阿佐が谷から総武線の各駅停車に乗り、新宿で渋谷へ行くためにのりかえなければならないのに、「三島はなぜあんなことをしたのか」と考え込んでいて、乗り換えを忘れて、はっと気が付いたらその日事件のあった市ヶ谷だったので、からだ中の毛が総毛立ったのを今でもはっきりと覚えています。
★あの日からもう40年がたち27歳であった小生はすっかり年寄りに成り下がってしまいました。
★家人もあの時は24歳だったという事です。
★「私たちも長く生きてるね―」と家人は言い。
★「というより、こんなに長くお前と一緒に暮らしてるとは思いもしなかったよ」と小生。
★まあ、光陰矢のごとしという言葉では表現ちょっと足りないけれど、他に言い方が無いほど長くそしてあっという間の40年ではあるんだよベイビー!
★あと40年後には確実にこの世にいないのだけど、今の劇団員はほとんど生きていて、もしかしたらこのブログだけが意味もなくネット上に存在し続けているのかと思うと、なんかぞっとしない気分であります。
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