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雲の涯

夏の夕べの雲

★写真は雲の涯です。

★雲の涯と書いて「クモノハタテ」と読みます。

★田中千禾夫さんの1幕物の名作です。

★田中千禾夫さんで思い出したのですが、小生の演出デビューは田中千禾夫さんの3幕物の大作「マリアの首」でした。

★早稲田の「こだま」という劇団で3年(20歳)の時に無謀にも大隈講堂で6月に上演しました。

★制作は今は亡き安藤という友人がやってくれて、収容人員1123席の日本で唯一のクッペルホリゾントの劇場であの大作を演出したのです。

★後に制作の安藤は、丸紅飯田からアメリカ・シリコンバレーの外資系の会社へ行って活躍したほどの大人物で、彼の手にかかるとその大隈講堂は満員になったのでした。

★おおげさでなく、スクールバスが着く度にお客がなだれこみ、もう芝居が始まっているのに次々とお客が押し掛け、「もう入れるな、芝居の邪魔だ!」と安藤とけんかしたものです。

★芝居は安田さんというアマチュアでは玄人はだしのギタリストに、下手舞台で生演奏をしてもらい、詩劇のような芝居はそれなりに成功したと思います。

★その時、原作者の田中千禾夫先生が見にきてくださり、小生恐縮して一言もしゃべれず、ただ、休憩時間にコカコーラの瓶のふたを取って、先生に「どうぞ」と震えながら渡したのを覚えています。

★田中先生に、いかがでしたかとも聞けず、また寡黙な先生は何も言わず、最後までご覧になり帰って行きました。

★あの時先生はどんな気持ちを持たれて帰られたのか……

★今となっては知るすべもない事です。

★以来田中千禾夫先生の「ドラマトゥルギーの研究」と言う本が小生の劇作のバイブルとなりました。

★自販器もコンビニもないあの頃、どうやって、休憩時間に瓶詰めのコーラを買ってきたのかが今思い出しても謎です。

★そしてまた、なぜ一言も話しかけずに、ただ先生にコーラを差し出したのかも謎です。

★「先生の立派な作品をこんなふうにして上演してしまいまして、せめて、喉等おしめしされて、許して下さい」とでも20歳のわたしは言いたかったのでしょうか。

★なにしろ学生演劇とはいえ、お金をいただいての初めての演出で、夜も眠れず、演出の仕方も分からず、駄目の出し方さえおぼろで、死に物狂いで芝居の演出をした事だけは当時の日記にも残っています。

★あれから、47年が、経ちます。

★まがりなりに劇団も2回建ちあげ、数え切れない劇を書き、演出してきましたが、時々あの時を越える演出を俺は出来ているのだろうかと思ったりします。

★後3年で50年、そろそろ演劇人生も終わりにしてもいいかなと思います。

★それだけにこれからの3年は心して、集大成をと思うのだよベイビー!

★本日は1日ひたすら創作の時を送りました。
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theme : 記憶の果て
genre : 日記

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プロフィール

G.C(グランド・キャノニオン)

Author:G.C(グランド・キャノニオン)
G.Cことグランド・キャニオン・ビリーブ・ミーこと高貴な谷、つまり 高谷信之のこれはブログです。

G.C(ジードットシー)は1972年からNHKラジオドラマを約80本書き、映画、テレビ中学生日記等主にNHkのシナリオを手掛ける。【ラジオドラマ】「枝の上の白色レクホン」では、芸術祭大賞をとり同じく『天主堂』ではギャラクシー賞優秀賞をとる。
また若者たちと劇団ギルドを1999年に立ち上げ、20年続け、37回公演で2018年秋解散した。70代後半に向かい、演劇のプロジェクト、あくなき、小説・演劇・シナリオの挑戦創造に賭けており、また日本放送作家協会の理事は岩間良樹理事長の時代より20年以上続けた。
他に長崎県諫早図書館・壱岐未来座等のシナリオの書き方、演劇の演出講師、指導等もしている。

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