六本木ー小平雨

★写真は白いサザンカです。
★本日は月に1度、六本木の日脚連で脚本家ニュースの編集の日。
★午後、行きがけの電車の中で、偶然にも同じ町に住んでいる女優のMさんにパッタリ会う。
★短く近況を語る間もあらばこそ、上石神井で各駅停車に乗り換えで、「またゆっくり話しましよう……」と別れる。
★編集が終わって新宿へ。新宿の喫茶店で改めて、本日の市民講座の生徒さんの文章のチェック。
★夜、小平の会場へ。本日は、作家仲間のNさんが偶然、講座の会場へ来て下さった。
★甘えてさっそくほんのちょっとしゃべっていただく。
★終わって、軽く飲みと言うか食事。
★書いていくということの大切さを改めて、再確認する。
★さて、森繁久彌さんが昨日亡くなった。
★96歳だったそうで、父と1っ違い。大正2年生まれだとか。そうか父も生きていれば、95歳になっていたのかと64歳で亡くなった吾父の事を思い出した。
★森繁さんとは日曜名作座のラジオで、数回お仕事をさせていただいた。
★一番印象にのこつているのは、1999年2月の初めころか、ご長男の泉さんが亡くなられた直後の日曜名作座の収録に現れた時であった。
★泣きながらスタジオにあらわれて、息子に「逆さを見せられた」事になったその悲しみを語られていた。
★その30分後位に収録が始まったら、その頃多少ろれつが回らなくなっていらっしやった森繁さんが、20年若返ったように、鬼気迫るように小生の書いたセリフのしゃべりが始まった。
★鳥肌が立つとはこのことだと思った。
★役者はハングリーでなければならないといわれるが、この人生最大の不幸に見舞われた直後のせリフのしゃべりのすさまじかった事は忘れられない。
★森繁さんの体内の遺伝子かDNAがこの時おそらくしっかりせねばと、すさまじいエネルギーをご自身に蘇えらせたのだと思う。
★まだ、小学生の頃新東宝で、題名は忘れたが「木下藤吉郎」の役をやったり、主役の失業したサラリーマンの役をやっていた森繁さんを、子供心にすごい役者だと思って見ていた。
★東宝の社長シリーズや次郎長三国志の石松役で評判をとる前の映画てあった。
★昭和の最後の巨星堕つという感じだ。
★ご冥福をお祈りします。
★しかし、本当に残念なのは、イギリス人の女性を殺したIという逃亡犯の号外と表裏出森繁さんの訃報が刷られ、配られたとの話を聞いた。
★失礼な話だ。いくら倹約の時代とはいえ、殺人犯とあの巨星が表裏に刷られて配られるとは世も末だ。
★そうじゃないかいベイビー!
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