芝居研究

★久々に上野アメ横に行きました。
★演劇集団円の芝居マーティン・マクドナー作「コネマラの骸骨」を浅草のアトリエに観に行ってきました。
★新聞で大層ほめていたので、期待して行ったら、確かにブラックコメディーには違いないし、それなりに戯曲としては旨く書かれてはいたけれど、芝居として公平に見ると、それほどズシンと迫ってくる物ではありませんでした。
★露悪的なセリフが次々に出てきて、頭蓋骨をたたき割ったりとか、キリスト教的に言えば、神への冒涜がひどいのかもしれないけれど。
★アイルランドやイギリスはともかくとして、同じアパートに住む交流のない女を部屋で切り刻んだり、夫をバラバラにして、公園やガード下捨ててしまう、日本の現実の方がおぞましく。
★そのおぞましさに対する答えが一つとして、出せないこの国の現状を考えると、このような芝居はもっと芝居自体が抱え込む深度が深くないと、上っつらの禍々しさや猥雑さだけが強調されて、何やら余計空々しく感じる。
★こうした芝居はキリスト教文化として2000年生きてきたヨーロッパの文化環境というものをやる側も、鑑賞する側も理解していないと誤解が生じるだけだ。
★現に会場から帰りの階段で、骸骨の小道具が飛び散った衝撃だけを、若い女が興奮気味にしゃべっていた。
★若い女と言えば、本日は電車に乗る時間帯が悪かったのか、最悪だった。まず俺の横、途中から席に座った女がこちらの膝の上まではみ出した大きな袋をごそごそした゜したと思ったら、化粧を始めた。
プーンと匂ってくる安物の化粧品のいやなにおい。
★じっとがまんしていると、斜め前に座って、ミニスカートで太い足で大股を開いていた女が、大声で携帯でどうでもいい事を電車の中で話し始める。
★こいつら、殴り飛ばしてやろうかと思ったが、そんなことで留置されるのもいやだし、第一昔とちがって最近はうっかり注意して、刺されてしまう事もあるので、自粛している。
★昔は音漏れでも「てめえが聞きたくても俺は聞きたくねえんだよ!」とか、高校生等が煙草を吸ってると、「おい、お前幾つだ」とか。
★煙草を駅のホームにポイ捨ての大学生には「ふざけるな!誰が掃除してると思ってんだ」とか怒鳴りつけるおじさんだったが、近頃は我慢我慢するようになった分、街へ出るだけで、ストレスがたまる。
★それでも帰り道、無灯の自転車の若い男とぶつかりそうになったので「あぶねえ、無灯かよ!」と怒鳴りつけてやった。
★刺されずに帰ってこれてホッとした。
★しかし自転車の無灯は多いねー。あきれるよ。自動車だったら夜の無灯は有りえねえだろう?
★どうなってるの?
★街でも家庭でも注意する人がいなくなっている。
★教養も恥もない、若者も年寄りも中年も勝手放題の人間が溢れかえっている。
★何が友愛の政治だ?
★愛を貫く武将のドラマだ?笑わせるぜ!
★日本人から決定的に欠けてきたのは、教養と品格と想像力だろう?
★そうじゃないかいベイビー!
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