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嵐を超えて51年前までの話

嵐の後の瀬戸大橋

★写真は今年10月17日穏やかな瀬戸大橋です。

★さて、この話はは先の「風に吹かれて山頭火」の公演の前の話です。

★{風に吹かれて山頭火}の稽古を今年の8月22日に見に行った時の事です。

★帰りはちょっとした嵐に会い、5時間以上かかって、松山からバスで高松。高松から岡山、岡山~新幹線で新大阪に着いたのですが、呼び寄せたはずの家内の携帯と連絡が取れず、これまた大騒動(個々の下りはボケ話なので省きます。)やっとの事大阪着。

★久しぶりの夫婦での旅行なので、飯でもと思いましたが、すでにレストラン等は締まる時間。仕方なくコンビニで弁当2つ買ってホテルで食べる始末でした。

★翌日、大阪での目的であるM君宅へ雨の中、娘さんに最寄りの駅迄迎えに来てもらい、たどり着きました。

★M君は病気療養中でしたが、ベッドに横たわったままですが、元気そうでした。

★実はM君とは51年前さる俳優養成所で出会い、一緒に最初の劇団「八騎人(ハッキジン)」という演劇集団を結成した時の仲間でした。

★養成所の入所規定は25才迄という事でしたが、互い29歳で、年をごまかした私と森君はすぐバレてしまった仲で、一時我が家に身を寄せていたのでした。

★偉そうに我が家と言っても、阿佐ヶ谷の四畳半のアパート。

★ここに駆け落ちしてきた家内と、もう一人の学生時代の演劇の後輩のO君、そしてM君の4人での生活です。

★耳元で小型冷蔵庫の、モーターのサ―モスタットがうなったり切れたり、小さな本棚に本だけは少しあったと思います。
小さな水道と流しはあったけれど、トイレは外の廊下です。

★演出と役者の経験はあるものの、まだ芝居とかテレビ・ラジオの脚本を書くなどは、考えたこともない頃です。

★早稲田の学生演劇では、大隈講堂で4回も演出をして、その後劇団を起こしたしたものの、(青の劇場)またアングラの発生前で1回でつぶれ、失意のうちの7年の間の後でしたです。

★「神田川」の曲がかかると、身に染みるそのままの生活でした。ただ違ったのは、目の前の路地の向こう側が銭湯だったので、外で待って凍えることがなかったのと、新婚にも関わらず4畳半に居候が2人いたという、今から思えば想像を絶する生活ですが、それこそがちょっと遅れた青春でした。

★ですから、M君との出会いは小生にしてみれば、ある意味演劇との出会い第2章のようなものでした。

★そしてM君も小生も、今では齢80歳。

★そのM君と看護師でもある娘さんと語らっていると、彼も元気そうで、頭もしっかりしていて、話も次々とはずみ、本当に楽しいひと時でした。

★それでも後で娘さんから聞くと、何度目かの入院を、我々の到着を待って、延ばしてくれていたとの事でした。

★なごりおしい時間は瞬く間にすぎ、土砂降りの雨の中を、駅迄娘さんに送っていただき、われわわれは電車に乗り、新幹線に乗り継ぎ帰ってきました。

★そしてほぼ17日後、娘さんのメールでM君の逝去を知ることになる我々でした。

★あの訪問が、良かったのか、悪かったのか?

★いいや、私たちは本当に良かったのだと信じています。

★森君、今しばらく待ってくれ、やがて天の上でまた語ろう。

★そして、小生渾身の戯曲を書くのですが、その話は又。

★シェガナ、ベィビーまたいつか気が向いたら。

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theme : 記憶の果て
genre : 日記

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プロフィール

G.C(グランド・キャノニオン)

Author:G.C(グランド・キャノニオン)
G.Cことグランド・キャニオン・ビリーブ・ミーこと高貴な谷、つまり 高谷信之のこれはブログです。

G.C(ジードットシー)は1972年からNHKラジオドラマを約80本書き、映画、テレビ中学生日記等主にNHkのシナリオを手掛ける。【ラジオドラマ】「枝の上の白色レクホン」では、芸術祭大賞をとり同じく『天主堂』ではギャラクシー賞優秀賞をとる。
また若者たちと劇団ギルドを1999年に立ち上げ、20年続け、37回公演で2018年秋解散した。70代後半に向かい、演劇のプロジェクト、あくなき、小説・演劇・シナリオの挑戦創造に賭けており、また日本放送作家協会の理事は岩間良樹理事長の時代より20年以上続けた。
他に長崎県諫早図書館・壱岐未来座等のシナリオの書き方、演劇の演出講師、指導等もしている。

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