相米慎二との日々

★これは昨年2021年11月、引っ越したばかりの壁際の写真です。
★とにかく、今まで部屋が狭く、本棚に押しつぶされそうに暮らしてきたのだが、一部屋増えたので、ほとんど本は捨てずに持ってきた。今までは押し入れの中や、天袋に無理やりに段ボールに詰めていた本も、なんとか壁際に並べることが出来た。
★中にはとっくに、こんな本持ってたか?などという本や。本屋の入れ替えのサイクルが早いので、とりあえず買っておくだけで積んでおいた本や、(昔はパソコンもアマゾンも無かったからね)昔読んで中身を忘れてしまった本等、とにかく様々な本がなんの規則性もなく本棚に詰まっている。
★二重本棚も何本もあり、本の背中をぼんやりと見ているだけで、色々な発想や、「そうだ、あれを参考にドラマを書かなきゃ」とか、本の背中は、なんとなく眺めているだけで様々な発想が出てくる。
★整理して押し入れやロッカーにしまってしまえば、その本はもはや、墓石の下の骨と同じような物になり果てる。
★だから本だけはランダムでもいいが、背中をという事は題名を、小生に見せけなければならないのだ。
★それがようやく実現した。
★あふれる本のの背、背、そこで1つ誓ったことがあった。当分新しい本は(例え古本であっても)買うまいと決意したのだ。
★しかし、本屋にはどうしても立ち寄ってしまう。わが町には、ベストセラーと雑誌と主に漫画を売っている小さな本屋しかないので、新宿や、六本木、はては立川、国分寺、吉祥寺などに出たときは、時間があれば新刊本か古本屋に寄る。
★寄ると買うまいと決意居していたのに、なんか買ってしまう。
★ふと手に取ったのが次の本だった。発行東京ニュース通信社・発売講談社。

★どうしても買いたくなってしまい、また一冊の本が増えた。新居第一号である。
★「どうするの、この膨大な本とDVDやブルーレイ、絶対死ぬまでに読み切れないよ。見ることができないよ。」
★必ず読んで観るから大丈夫だ!
★「一体いつまで生きるの120才」
★とにかく本の背中だけは俺に見えるように並べてくれ。それが発想のの原点だ。
★「ふーん。本の背中……」まあ、家人とはこんな会話の繰り返しだ。
★話変わって、小生2回劇団にいた。一つ目の八騎人(ハッキジン)は29歳の時五月舎という養成所に、年を5つ程若くごまかして入り、「7人の侍」ではないが、8人の優秀な同士を募って旗揚げをした劇団だ。
★もう一つは1999年4月に若い人達と作って、2018年に36本打って解散した劇団ギルド(後にG.Cが付く)だ。
★八騎人は1973年に設立して、小劇場のアングラ芝居が流行っていた頃、16本の中劇場でのスペクタクルでなおかつシリアスな芝居を打って、中間演劇を目指したが、1回公演を打つと、多額の借金を背負い、その返却に3年ぐらいかかったりして、いつの間にか解散ではなく霧散した。
★まだ八騎人は解散したわけではないので何処かに存在していて、霧のように時々時空を漂っているのかもしれない。だか、これは幻の劇団になってしまっている。
★そして相米という、あの大監督を偉そうに呼び捨てにするには訳がある。
★まだ八騎人の初期の頃、稽古場や事務所(と言っても劇団員が住んでいる阿佐ヶ谷の小さなアパート)でマージャンをしたり、稽古を見に来ていた、日活ロマンポルノの助監督はまだ名前も通っていない、助より、未監督に過ぎなかったからである。
★その相米監督と「ションベン・ライダ―」という映画の主役の子供たちへ、撮影前の演技指導のを頼まれて、10日か2週間程日活の撮影所へ小生通うのだが、長くなるのでその相米須監督との因縁や仕事の話を次回はしよう。
★本日これまで。
★尾身クロンに騙されるな!
小池の説教なんか聞くな!
そして岸田のころころ変わる軟弱路線に騙されるなよ、同輩諸君!
2年以上も暇があり、対策が出来たはずなのに、何もせず、自分たちの私利私欲にばかり走っていたコロナゴロを俺たちは決して許さない!
★お休みベィビー、また明日。
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