2021年を乗り越えて

★写真はわが家から望む富士の拡大図。
★今年はわが家にとっては激動の年であった。世間もまたコロナにオリンピックにパラリンピックに翻弄されてすごかったけれど、9月30日旧居から300メートル程近くの団地のり部屋への引っ越しがこれは狂気の沙汰だった。
★というのも、部屋が3Kから一部屋増えて4Kになるという事で、ほとんどの本や資料、仕事の記録を棄てなかった事によるとんでもない事態を経験したのである。
★ケチでも何でもないが、全ての物に飢えて育った、78歳の私と、若干物は捨ててもなんでもない75歳の夫婦の引っ越しである。
★元来断捨離という言葉や生きざまとか、背中を押されてという言葉が嫌いだし、間違っていると常々思っている。
★断捨離は全く都合のいい造語だし、死にざまとは言うものの、生きざまという言葉は本来ない。あえて言うなら生き方だし、背中を押されたら倒れてしまうだけだし、引き上げていただいた。というべきなのだ。
★それはともかく、部屋が増えるのなら本は捨てる事はないとして、段ボールに詰める手はずが遅れてしまった。
★引っ越しの本体は9月27日に完了したが、残った積み残しの本の段ボールが、山とあった。
★劇団を3年前に解散したので、あまり連絡の取るのが不得意な小生、コロナ時勢とはいえいきなり、2年ぶりに電話をかけて、「実は引っ越すんだが…」とは言いだしにくい。
★言えば彼らはきっと手伝いに来てくれるだろうが、それは普段からの連絡があった上での話だ。
★そこで、子供もいない老夫婦としては、最後まで残った劇団の女優と、もう一人の若い友人と70過ぎた弟に引っ越しの手伝いを頼んだ。
★この3人の助っ人なくして引っ越しは成立しなかったが、ともかく35個ほどの段ボールが旧居引き払い期限の9月30日夜まで残ってしまった。
★ご記憶にあるだろうか今年9月30日は久々に関東地方に台風が接近し、房総半島をかすめて通過した日である。その夜である。
★破産した保育園から借りた、園児が鉄柵に掴まって乗るような大型の台車で、暴風雨が繰り返す夜11時頃より、300メートル近くの新居への坂道を音立てて行き来して運んだのである。実に約7回くらい。
★10月1日朝5時半頃、風雨はまだやまず、ズブ濡れになって、下着はびっしょりの汗で、私はと言えば50年以上前の20代にやった、リポビタンDのトラックでの荷下ろし、浦和と高田の馬場の工場の運送助手とか、1週間で逃げ出した東京12Chでの大道具の建て込みと解体の果てしない労働以来の、正に肉体酷使のみの労働だった。
★家人はスポーツ万能の肉体強健な75歳なので、まあ、なんとかぎりぎり大丈夫のようだった。
★大げさでなく、この引っ越しでついに死ぬかと思った程だった。小生心臓にステントを言入れて6年が経っている。
★よくぞ倒れなかったと思う。78歳で10代後半の加重労働は無理だ。気力云々の話ではない。そして、膨大な荷物をなんとか恰好だけ納めたと思った11月半ば゛過ぎ、今度はなんと携帯電話のLineを乗っ取られたのである。
★長くなるのでその話は明日。
★お休みベィビー、今年はありがとう。来年というか、2022年もよろしく。また明日。
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