作・演出者の落とし穴

★写真は「風と雲と魂と」のラストシーンです。
★悪戦苦闘のすえ、やっとブログを続ける事が出来るようになりました。
★最近こうしたブログもセキュリティーが厳しくなり、特に劇団で2つ以上のサイトを持っていると、それらの欄が交差したりして、訳が分からなくなります。
★さて、演出と言う事でいえば、脚本を書いた者は、書き上げた段階でその本を諦めなければなりません。
★小説と違って戯曲は出来上がった瞬間から、役者とスタッフとそれ等のアンサンブルを造る演出者の者になるからです。
★戯曲に執着すればするほど、演じる役者によって戯曲を書いた人の意図と違ってくるからです。
★特に作・演出する人間は注意しないといけません。書いている途中で、既に演出のやり方が頭の中で出来ているばあいもあります。
★ところが、役者が自分の書いた構想とはまるで違う動きや、喋り方を稽古でし始めた場合。本来書いた時の意図に強引に戻そうとします。
★私は、科白の言い換えにはうるさく正しますが、言い方や動きに関してはその役者の個性がきちっと出ていれば、特に何も言いません。
★いつまでも書いた時の自分を大切にしようとすれば、作者としては傷つくばかりだからです。
★でも強引に頭に描いた演出意図に引き戻そうという作・演出家は多いのです。
★多くの人間が集まり、一つの作品を舞台化しようという時、一人の人間が頭の中で考えたことはたかだか知れています。
★もし、その人間が天才だったとしてもです。
★これは演出の意図とか方針がないのとは違います。
★長くなるので、また続きは次の機会に。
★本日これまで、オ休みベィビー!また気が向いたら。
スポンサーサイト