本との別れ

★写真は台風一過の10月23日夕方の写真です。23日掲載の写真は雨の降りだした1週間ほど前の物です。
★世の中がどうあろうと、この景色と別れて、引っ越しすることになった。引っ越しは10年ぶりくらいである。
★劇団の事務所を閉鎖しての割合簡単な引っ越しは数年前にやったけれど、本格的な引っ越しは10年ぶりぐらいかもしれない。
★何しろ引っ越し貧乏とはよく言ったもので、結婚して以来、つまり家庭と言うものを持って以来48年の間に、阿佐ヶ谷の4畳半から始まって、12回位引っ越した。劇団事務所の引っ越しを入れると15回程か。
★16回目は流石に爺と婆で、大変な事に成る。
★何が大変と言って、仕事の関係の本や書類を大量に処分しなければならないからだ。
★たかが10hmへーべの一部屋縮小と言っても、本の数は半端ではない。しかも、もう棄てる以外に道の無い本が有りすぎる。
★普通本の中の紙は白いのだけれども、茶色を超えて赤銅色に限りなく近づいている。
★「ヘルダーリン詩集」・「春の奔流」ヘミングウェー・「演劇論」ドニス・ディドロ著奥付を見ると昭和十五年とある。勿論そんな頃に生まれていたわけではないが、学生の頃古本屋で買った本だ。なんとタイトルの演劇論が右から左に流れている。
★でも思い出すと、マガルシャック著の「スタニスラフスキー・システム」に何とも納得がいかずに、その後読んだこのディドロの演劇論で目からうろこになった事を思い出す。
★そこには古い新劇が良く言う役の解釈とか、心を演じるという事の全く逆の事が書かれていた。
★「稽古では形を示しなさい。形を示してやるべきことをやれば、もしかしたら芝居の神様が本番に、その役の魂をあなたの中に落としてくれるかもしれません」とスタニスラフスキーは稽古の中で言っていると書いてある。
★「本や役の解釈とか、役の心とか魂の理解とかからは何も生まれてこない」と彼スタニスラフスキーは言っているとドニス・ディドロは言っているのである。此れは恐ろしい程の説である。
★勿論彼、スタニスラフスキーの演劇論がその過程、その都度によって変わってきたこともあろう。しかし、誤訳の誤解で新劇の歴史があったとしたら、大変な事だ。
★「特権的肉体論」という言い換えで唐十郎が演劇論をそれなりに書いたのも、一分の理があるかなと思ってしまう。
★勿論形を稽古することが全てではないことは分かっている。
★それはともかく、トーマスマンやディケンズ、サルトル、ジャン・ジュネ等の古い文庫やガストン・バシュラール等の本が多い処を見ると、私は西洋カブレから芝居を始めたのかなと思ってしまう。
★18歳まで、ほとんど本は読まず、夏目漱石の「吾輩は猫である」と、先輩に強制的に渡された三好十郎の戯曲集の他何も読まなかった。
★18歳で大学へ来てから必要に駆られ、本を読み始めた私のこれらの本は、全ての始まりで有り、ささやかな物書きとしてやってこられた本当に未熟な教養の始まりの本なのだ。
★そんなことを思って感傷に浸っていると、本の葬式が出来ないうちに、自分の葬式になってしまう。だから、とにかく断腸の思いで、本を捨てる。処分する。
★それは自分自身の青春の思い出やケチな教養との、感傷抜きの完全な決別でもある。でもそれで果して、大人に成れるのだろうか私は・・・・
★反省!ブログはせめて3行にまとめたいものである。
★本日これまで。お休みベィビー!また明日。
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