11月25日は・・・・

☆写真は寒い高気圧が流れ込んで輝くばかりの夕焼け富士が観られた。
☆しかし以下の文章とは何の関係もないので念のため。
☆1970年の11月25日だった。当時小生27歳、南阿佐ヶ谷の四畳半のアパートに前年自分の家を出て、私と暮らし始めた家人は勤めに出ていて、小生は何のために生きているか、自分が将来何者になるかも分からず、ほとんど紐のような生活をしていた。
☆11月25日例によって夜型の小生昼の11過ぎに目を覚まして、モノクロの壊れかけたテレビをつけると、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊に乱入したという臨時ニュースを放送していた。彼は自衛隊のバルコニーで何か叫んでいた。
☆その頃何故か三島由紀夫の「豊饒の海・奔馬」あたりをむさぼるように読んでいた。
☆そしてニュースは三島の切腹を伝えた。
☆その日渋谷の並木橋の近くに勤めていた家人の給料日で、多分小生はその一部を受け取り、何かの借金の振込(多分家賃か?)をやらなければならず、午後、3時過ぎ、阿佐ヶ谷から渋谷に向かった。
☆頭の中は真っ白で、彼が右翼的な作家という事は知っていたが、何故かその文体に惹かれて、新作を読みふけっていた。
☆「なぜ彼は異様な死を選んだのか?」そのことで頭の中はいっぱいだった。
☆阿佐ヶ谷から総武線で渋谷に向かった。「なぜ彼は・・・・」気が付くと電車は市ヶ谷へ着いていた。
☆はっとして、鳥肌が立ち私は新宿まで戻り、渋谷に向かった。
☆普通阿佐ヶ谷から渋谷へ行くためには、当然新宿か代々木で総武線から山手線に乗り換えるのが当たり前だった。
☆総武線も何故、市ヶ谷迄間違いを気づかなかったのか?小生はその日三島にその魂を導かれた様な気がした。
☆それほど小生の心は暗く、老成してしかもほとんど病んでいた。
☆大学を中退してから23~29歳まで、私は何者でもなくモラトリアムの冥い海を漂っていた。
☆今20代で芝居をしている者を見ると、羨ましくもあるが、何よりも、もっと頑張れるはずだと思ってしまう。
☆それは自分の暗黒時代と重なるからだ。
☆30歳を過ぎて芝居をやりながらラジオやテレビを書き、今73歳で芝居が出来ることを幸せに思う。
☆暗黒の7年間であっても、あの時小生が学んだ物は底知れない。運動が苦手な小生には本を読むしか術がなかったからである。勿論芝居は意地でもその間一切見なかった。
☆今日、11月25日、素晴らしい芝居を吉祥寺シアターでみた。「景清」ー近松の人形浄瑠璃を下敷きにした演劇集団円の芝居だった。
☆橋爪 功さんが圧倒的な太筆の一本書きのような演技をしていた。
☆橋爪さんとは何回も小生の書いたラジオドラマをやらせていただいた。
☆まだ、全国的な人気はなくラジオドラマでは主役だが、テレビでは小さな脇役をやっていた頃だ。「何故こんなに旨い人が売れないのだろう」と思っていた。
☆今私は彼の事を、日本で一番腕の有る役者だと思っている。
☆長くなった。本日これまで。お休みベィビー!また明日。
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