ルーティーンから稽古

☆写真は稽古前のアップです。
☆さて、今年或いは昨年からはやった言葉に「ルーティーン」という言葉があります。意味は一連の仕事とか、決まりきった仕事とか書いてありますが、要するに何かを始める前のちょっとした段取り、儀式のようなものです。
☆だがこのルーティーン、中々大切な事で、稽古に入る前、必ずやっています。
☆今回は出演者3人なので、写真右手前の酒井さんが中心になって、やってくれています。
☆彼は踊りとかパントマイムも色々と出来る人なので、この人に色々指導してもらい、躯をほぐし、3人の呼吸を整えます。
☆実に大切な時間なのですが、稽古期間が少なくなると、横暴な演出はちょっと短くしてください等と余計な事を言いだします。
☆そして稽古です。

☆稽古と言うものは、ルーティーンを組むようにはいきません。そこはそれ役者の感性や創造性が常に色々と揺れたり、溢れたりするのと、時に集中力が薄くなったりと様々な動きがあるので、演出の勝手な意図ばかりで稽古を進めるというわけにはいかないのです。
☆もちろん大きな劇の流れや、リズムやテンポという物はある程度決まっていたり、徐々に整理されて完成されていくものですが、決まりきった一連の同じような稽古の繰り返しはありえません。
☆なぜなら相手(つまり演出の相手)は書かれたセリフではなく、一瞬一瞬呼吸して、感じて考えながら動いている役者なのですから。
☆作・演出を自分で全て担当する者は時々そうしたことを勘違いして、自分の中のプランを往々にして押し付けることをしてしまいます。
☆そうしないよう、私は自分で書いたセリフは演出に入った段階で捨てます。
☆ところが捨てきれないのがセリフの言い方ではなくて、書かれた言葉への間違いのない執着です。
☆こればかりは、「どうして、そんな」と書かれたものを「そんな、どうして」と言われるとしつこく直してしまうのです。
☆ということはこれ、やはり自分が書いたという事を捨てきれていないのでしょうか?
☆困ったものです。それでも稽古は進みます。
☆本日これまで。お休みベィビー!また明日。
スポンサーサイト