稽古

☆写真は「誰? 」の稽古風景である。
☆こういう稽古は半立ちという。変な事を連想しないように!
☆台本を片手に持ちながら、ある程度動いて稽古をする。これを半分立っての稽古なので半立ちと言う。
☆こうした稽古が結構好きである。ただテーブルに座って読むだけでは、役者が動いて言葉を発した時と明らかに色々な条件が違ってくるからである。
☆もう一つは台本のセリフをちらっと見ながら、相手と関わっていくという2つの別な神経を使わなければならない。
☆こういう事は躯を含めた動きと考え方のトレーニングにもなる。
☆もちろん誤解のないように、読み違いの無いようにテーブル稽古で、役や筋の解釈も大切だ。
☆しかし日本の主に新劇ではそういう解釈ばかりが重要視されて、躯を使って表現するという訓練がおろそかにされている。
☆問題なのはどう感じて言葉を言うかではなく、どういう強弱とスピードをつけてセリフを言うかという事が大切だ。
☆まったく違う脳をもった作者が書いた脚本の言葉等、どう解釈しても正解には至らない。
☆スタニスラフスキーはこう言った「真の形を示しなさい。それを発見し何回もやれば、運がよければ、舞台の上に立った時神様がその役の心をあなたに落としてくれるかもしれない」と・・・・
☆ところがY.Hと言う人がとんでもない誤訳をした。
☆以来新劇はスタニスラフスキーは「その役をしっかり解釈しなさい、その役の貫通行動(そんな言葉が歴史上あるとは思えない、これは意味の分からない造語だ)を調べて演ずるのです」と誤って訳されてしまった。
☆これが失敗の始まりである。
☆歌舞伎や能の演技指導を見てみなさい。3歳とか5歳の頃から祖父や父なる役者に形を徹底的に教えられる。
☆子供はじめはわからずとも、其の3歳の役者が30から40歳ぐらいになって、教えられた同じ形をやりつづけた時に「ああ、おじいちゃんが教えてくれたのはこういう気持ちだったのか」と初めて役の気持ちが分かるのである。
☆役の心を受け取りおし抱くまでには凄い年月がいるのだ。
☆だからというわけではないが、私は半立ち稽古が好きだ。
☆ポケモンの話は止めた。小生が呟いたところで、どうにもならないからだ。
☆ただ、私もやっとブログに怒りをぶつけられるほど元気になった。
☆いいことか悪いことかは分からないけれど・・・・
☆本日これまで。お休みベィビー!また明日。
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