新しい年、言葉を

★写真は2016年1月1日ベランダから見た富士です。午前9時半頃。
★皆様改めておめでとうございます。昨年中は色々ご心配をかけ、ありがとうございました。
★おかげさまで無事に2016年を迎える事が出来ました。ありがとうございます。
★さて頂いた年賀状250通くらいに目を通して、一年ぶりに様子が分かる人や、一年以上久々にもらう年賀状とか、年賀状はやはりいいものです。年賀状は言葉をより処にして、人とつながっていきたいという優しさの一形式だからでしょう。
★おせちを食べて、お雑煮を食べて、祝いました。
★下戸なので、御屠蘇はやらないけれど、富士山も本日は雲一つなくはっきりと見えて、比較的暖かな、素晴らしい元旦です。
★テレビだけは相変わらずバカ騒ぎで、見る気が一切失せます。こんな番組をやっているテレビは本当に滅びます。わけのわからん芸もない馬鹿者が出てきて、騒いでいるだけです。
★昨日の紅白歌合戦を見ても、若い者の唄う歌の歌詞が説明的、日常的に成り果てて、少しも胸の底に刺さって来るような言葉がありません。
★言葉の喪失・衰弱という事にどうして、気づかないのでしょう。これは他にもそうでした。評判のテレビ東京の「孤独のグルメ」という番組をBDで撮っておいたので、期待して見たら、ひどい日本語のナレーターを松重なんとかという俳優が語りながら食べているのです。
★あきれてしまいました。黙ってセリフなしで食べているところを見せるだけならこれはどんなにか素晴らしい番組になったかと思うのですが、言葉を軽視しているがゆえに、説明的ナレーションを役者に語らせなにもかも台無しにしていました。
★当たり前のことですが、言葉とは人間の唯一の意思であり、思想であり、感情でもあります。言葉によって、人間は動物とは違う伝えるという文化を作り上げて来たのです。
★言葉があるので、沈黙も阿吽の呼吸もあるのです。
★言葉を安く弄び、言葉の意味を滅失させている昨今のお笑いには何の魅力もありません。そうした事ばかりの番組はほとんど見るに値しなくて、NHKも民放追従か、軽く面白くしようと無駄な努力をしています。
★そして、NHKも自局の番組の宣伝を繰り返しやるのみです。
★下らない宣伝は止めて、きちっとしたドラマを造れば、人は見ます。少なくとも、心ある人は見るのです。それなのに、視聴者におもねってばかりいるので、そういうドラマは見ないのです。
★言葉の貧困はいさかいしか生みません。戦と、勝った負けたしか考えられなくなるのです。
★スポーツの良さは勝ち負けではなく、其処に至る情熱と技と思いのすごさなのだという事が、分からず、すぐにメダル何個とか優勝がどうとか言う見方しかできなくなってきてしまいました。卑しいことです。
★「2016年、言葉に命を取り戻そう」 と強く言いたいと思います。
★夕方家人とイトーヨーカ堂へ自転車で行き、風呂のマットとパイプの洗浄液を買って、護摩ラーメンを食べて帰ってきました。
★夕陽の富士山をベランダから見損ないました。
★夜、家人が初めてというので、レーザーデスクでヘップバーンの「シャレード」を見ました。小生はかつて2回程見たのですが、娯楽映画としては面白い方だと思います。
★レーザーデスクをくださった今は上田にいるTさんがヘップバーンはシャレードが一番というのですが、ヘップバーンは「ローマの休日」もさることながら、小生としては「昼下がりの情事」か「麗しのサブリナ」かなとも思います。いや、「ティファニーで朝食を」が最高かもしれません。
★それはともかく、夜10時頃から年賀はがきの整理と入れ違った方への書き直しをして、終わったのが、3時頃。
★これでまた、昨日せっかく2時半過ぎに寝て、10時頃起きたのに、元の木阿弥で、前途多難な正月の幕開けであります。
★本日これまで。お休みベィビー!また明日。
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