墓参り~床屋~買い物~片付け

★写真は師走の青山です。
★さて、年も押し迫り、年賀状も出したので、家人と墓参りに行きました。
★育ちは悪いけれど麹町(出産は戦時中の信濃町の慶応病院)で生まれ墓地は青山墓地なので、生まれと死に場所は上等なので、それだけがつまらん自慢ですが、なにしろ墓参りは便利です。
★行こうと思えば何回もいけるのに、親不孝で年に一回か二回がせいぜいとは情けない話です。
★でもとりあえず、年末は例年、30日か大晦日に参って一年の報告をしてきます。
★それで、午後、いつも日が暮れてしまうので、早めに出ました。
★今年はアビを5月に亡くして、9月には小生が九死に一生と大変な年ではありました。芝居もこの年で3回もやりました。
★勿論多ければよいという物でもありませんが、実に大変な一年だったと思います。
★墓地は何年か前に改良整備のため、大変いい場所に移してもらったので、晴れている今日は六本木ヒルズと、ミッドタウンのビルがどっちがどっちかよく分かりませんが、青空にそそり立っていました。
★でも、とりあえず墓地の写真は撮りましたが、載せるのは止めておきます。
★2日程前に妹と、亡くなったもう一人の妹の旦那が墓参りに来ていたので、綺麗な花がさしてありました。ピンクのカーネーションを足して、花を墓の前で祈って来ました。
★コーヒーが好きだった親父にいつも缶コーヒーを近くで買い、墓標の前の土にすこし垂らして、残りを飲むのですが、コーヒーをすぐそばで買ったのにすっかり忘れて、出口の方へ行き掛け、思い出してまた戻ってコーヒーをかけてきました。
★ボケが本当に忍び寄っているみたいで参ります。まあ、自覚があるうちが花でしょう。
★帰り渋谷で乗り換えて、クリームとアンの入った、豆乳で焼いた回転焼きを並ん買って食べましたが、周り近所は外人ばかり。

★見下ろす八公広場の前は、青山と打って変わってものすごい人ごみでした。それと、故里に帰る為か、通称コロコロを曳いている人がなんと多いことか・・・・
★東村山に帰ってきて、自転車置き場で家人と別れ床屋へ。マスターは元気なのだけれど、春に倒れた親父さんはなんだか元気がなさそうで、それでも立川の競輪グランプリに行ったけれど、車券をとりそこねたと悔しそうに言っていました。
★まあ、自転車は止めてバスにしたというけれど、立川まで行けるようなら大丈夫でしょう。
★色々と床屋談義をして、帰り着き、近所のスーパーへ正月の簡単なおせち料理洋の買い物に家人と行きました。
★もう大方買ってあったので、籠の3分の1ぐらいのささやかな買い物。
★帰り着いて、頼んでおいたのしもちを切り、自宅のロッカーにあふれていたネクタイを自分用と芝居用に分けると、もう、0時に近くなっています。
★ネクタイはサラリーマンでもないのだけれど、しめることが逆に好きで、ものすごい数がありました。100本に近くあったようです。古くても忘れられないネクタイもあり、選別は大変でした。
★いつか盛岡の劇作家大会で、檀上でのマイクでの自己紹介で、「ネクタイ派の高谷信之です」と言ったら、滑舌が悪かったのか地元の記者に「肉体派という派があるんですか?」と聞かれて、往生しましたが、それほどネクタイ好きなのです。
★如何にも芝居やっていますという恰好、TシャツにブルゾンそしてGパンというスタイルは好きではないのです。
★せめて、ジャケットにGパンそしてネクタイなんかがお気に入りの服装なのです。
★多分サラリーマンをやっていたら、ネクタイ嫌いになり、ラフな恰好にあこがれたでしょうが。
★喪中のはがきが来て、まだ若い長男(47歳)を今年の2月に亡くした広島のT君の事が気になっていたので電話しました。
★T君は演劇科の同級生です。まあ、逆さを見ると言いますが、お子さんを亡くした父や母はどんな悲しみの深さでしょう。
★そして今日も仕事部屋を片付け、物を書ける状態にしようという企ては途中でとん挫して、もう朝になってしまいました。
★本日これまで。お休みベィビー!また明日。
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