テルミンの演奏会

★写真はちょっとピンボケしていますが、夕焼けの富士です。
★さて、本日は夕方から国分寺へ出て、家人の親友で、家族ぐるみで親しいお付き合いをしているS・Hさんと待ち合わせ、阿佐ヶ谷へ。
★阿佐ヶ谷ヴィオロンで夜、松田充博さんのテルミンの演奏会へ行きました。
★ここでの演奏会は年4回だそうで、本日は暮れにもかかわらず10人を超える人が聞きに来ていました。
★演奏された曲は、先の劇団ギルドの公演’60~18ロクレイ・イチハチ―1960年君は18歳だったーで演奏してくれた曲等を改めてじっくり聞く事が出来て、幸せでした。
★テルミンは1911年のロシアでテルミン博士という人によって発明された、最古の電子楽器で、音叉のようなアンテナ2つの間の何もない空間で指を動かせて演奏していく不思議な楽器です。

★人によって色々な演奏の仕方があり、主にクラシック系統のヨーロッパ的音調の演奏家が多いのですが、松田さんの演奏する曲は中国のニコあるいは馬頭琴のようなアジア的音色の曲が多いのです。
★その曲調に大層ひかれる自分を演奏を聴きながら、つらつら考えるのに、小生の祖父が5・15で青年将校に殺された犬養毅の書生で、犬養さんの命を受けて・・・・
★若い頃から連れ合いの祖母と海を渡り、満州中国の武漢の近くに本拠を置き、馬賊を使って精密な中国の地図を造っていたのです。
★グーグルとか衛星の無い時代ですから、何処かを侵略していくためには、その地の精密な地図を造らなければならなかったのです。
★おじいちゃんにその意思があったかどうかは別にして、いわばスパイの走りであり、師である犬養さんのいわれるまま、大陸に渡って地図を造っていたのだと思います。
★したがって彼に侵略とか戦争への意思があったかどうかは別にして、なにか、小生としては後ろめたいものを感ぜずにおれません。
★また母型の祖父は内村鑑三の弟子で、鑑三さんの初期から中期の著作の代筆をほとんどしていた人で、後に独立してプロテスタントの無教会主義を唱えた人であります。
★ですから、いわばスパイと宗教的伝道師という両極端のDNAをもらった小生は孫なのであります。
★このことは小生としては誇りであるものの、ある種の後ろめたさのコンプレックスの素でもあります。
★それはともかく、父型の祖父が聞いたであろう、ニコに代表される中国の音調が小生の中では常に懐かしく、琴線に触れてくるのだろうと思いました。
★ですがら殊更テルミンの響きは心に沁みてきます。何とも清々しく優雅な一時を過ごすことが出来ました。
★演奏の後ヴィオロンのマスターが経営する隣のタイ料理店で、家人とS・Hさんと演奏の終わった松田さんと食事をしました。
★阿佐ヶ谷の街も年末のざわめいきの中にありましたが、ほっとする一夜でした。
★思えば今から46年前、阿佐ヶ谷の線路を挟んだ逆の青梅街道の向こうの、4畳半から私たちの結婚生活が始まったので、阿佐ヶ谷もなつかしい街です。
★帰り着くと、今日は事の他北風が厳しく、やっと本格的な冬がやってきたような寒い冷たさでした。
★本日これまで。お休みベィビー!また明日。
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