私と演劇67 1994年ラジオとTV

★写真は今を盛りのアジサイです。
★私と演劇 67 1994年のラジオとTV
★この年もう1本異色のラジオドラマを書きました。NHK第一放送のラジオ深夜便で色川武大原作の「苦笑い」という作品です。
8月8日に放送されました。おそらく8月6日に放送された「天主堂」と2日おきの放送だったので、2つとも多分書いた時期は5月か6月だったと思います。
★この作品は色川 武大さんの自伝的短編小説の1つで、兄弟の情愛を描いた作品です。30分で完結のドラマでした。
★さて、前回にも触れましたが、「天主堂」で、ギャラクシー賞の優秀賞をいただき、大変うれしかったのです。この賞は純粋にラジオ・テレビの新聞雑誌等の記者が選んでくれる賞なので、ちょっと名誉な気持ちになりました。
★そしてまた、この優秀賞は1年を前期と後期に分け、2つ優秀賞を選んで、その2つの内の一つがギャラクシー賞の大賞となるのでした。
★この年度は前期に天主堂で優秀賞をいただき、かなり自信を持っていました。ところが後期にご存じ三谷幸喜という方の「笑いの大学」という終戦後の検閲をテーマにして造った喜劇が優秀賞を取り、結局時代が喜劇全盛という事と、圧倒的な作者の知名度もあり、そちらが大賞という結果に終わりました。
★ひがんで言うわけではありませんが、三谷さんのコメディーはすごい才能だと思いますが、この作品だけはちょっと引っかかりました。なぜなら戦時中の検閲では、何人もの作家や演劇人が逮捕され、それこそ小林 多喜二のように虐殺されたり、獄中でやむなく転向したり、当時の先人は血を流して苦しんだという過去があります。
★たとえ三谷さんの描いた時代が戦後のGHQ時代の検閲とはいえ、この問題は軽々しくあの様なパロディーに成るような性質のものではないと思います。表現の自由と、圧倒的なファシズムの中にあって血みどろで戦ってきた先人に対してのリスペクトがあれば、あのような作品は生まれないと思います。
★その他のパロディー乃至はコメディーはたわいのない物をからかったりしているのと、それなりの才能が有るので素晴らしいと思いますが、「笑いの大学」だけはちょっと羽目を外し過ぎで、いささか彼自身の教養の無さを露呈した作品と思います。
★したがって、他の彼の作品に負けたのなら良しとしますが、これだけはちょっと選んだ方もどうかなと思いますし、舞台に映画にとやがて一粒で3度おいしいという展開をするにはちょっと恥ずかしい作品と今も思います。
★余談になりました。僻みではないのですが、これを言うとそうとしかとられないのが残念です。
★さて、それは置いて、中学生日記は「レインボードリーム」5月29日放送と「ありがためいわく」7月3日放送。と「ターゲット」という作品を書きました。「ターゲット」の放送は1995年の2月19日放送だったので、多分書いたのは94年の暮れだったと思います。
★こうして見ると、ラジオ5本、中学生日記3本、更に当時中学生日記のノベライズ作品「親父のジーパン」も書いたと思います。
★これは「早く帰りたい」の帰国子女と「レインボードリーム」でのアメリカからやってきたホームスティの少年との話を結合して書いた話と、「青春のブルージーンズ」の2話を160ページほどの小説にした本を1995年4月にポプラ社から出版されています。。
★これはたいした分量ではないと思われるかもしれませんが、それぞれが性質も話も違う本なので、よくこれだけ1年の間に書いたと思われます。
★昔、尊敬する「岩間 芳樹」というTVラジオの巨匠がある時「今の日本ではラジオドラマで飯を食べている作家はいません」とスピーチしていましたが、その頃内心「俺は食べてますけど・・・・」と反発したくらい、次々に切れ目なく仕事をしていたのであります。
★今思うとなんと幸せな時代だったのだろうと思うのですが、その頃は忙しさに忙殺されて、いささか生活も荒れていました。
★人はやはり渦中にあればその幸せとか、充実感を中々感じることが出来ない。ややもすると不満だけが残る残念な生き物です。
★時が過ぎ、あれが俺のピークだったとか、一番充実した時期だと初めて分かる人間とは何と悲しい動物なのでしょうか・・・・
★今回これまで。
★今日は俳優座の花の15期生、自由劇場から黒テントを経由して、今もなお、劇団を主宰して頑張っている溝口さんと久々に会い、所沢で歓談した。同じ年なので、残り少ない人生をどう芝居をやりつくして倒れるかという話や、次々に倒れて逝去していく同期やチョイ先輩の演劇人の話が尽きないような一時だった。
★天気予報より3時間も早く、午後からちょっと冷たい雨が降りしきる。
★本日これまで。お休みベィビー!また明日。
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