私と演劇 62 1991年ラジオドラマ

★写真は中央公園からの風景です。
★私と演劇 62 1991年 ラジオドラマ
★この年はじめて、日曜名作座を書かせていただいた。これは森繁久彌さんと加藤道子さんが2人で様々な役に扮して、繰り広げていく、ラジオでは一番の長寿番組であり、1957年から始まり34年も続いているラジオドラマで、大変緊張した。
★ほとんどが名作座というだけあって、東西の名作小説を基本にしていた。私が脚色したのは阿久 悠原作の「飢餓旅行」という作品だった。
★一つだけ感心したことがある。阿久 悠さんは直木賞作家ではあるが、その前にヒット作を果敢に書いていた作詞家でもあった。作詞家という者は元来言葉を削って、削ってこれだというギリギリの言葉を選び詩にする。そうした訓練の上に書かれた小説だったので、どれ一つとして、言葉に無駄がなく、他の作家に比べて、脚色が楽だったのが印象的であった。
★脚色とはいわば原作を顕微鏡でその細胞を見るように丹念に観て、ドラマとして再構築して会話を書いて行くのである。
★そうなると当然原作の小説には無駄な言葉があったり、逆に言葉足らずの処が有ったりする。それを埋め、なおかつ会話だけで何とかドラマにしていく作業なのである。
★たいてい、好きな作家でも何べんも読み、ドラマにしていこうとすると、うんざりするほどの隙間が見えて来て、ドラマにするのに苦労する羽目になる。
★ところが、作詞で鍛えている阿久さんの小説は、それ自体ギリギリの言葉で書かれていて、ほとんど直すことなく、会話としてスムーズにドラマに成ったのである。これには驚いた。何人もの作家の脚色をして、色々直してきた小生としては改訂の余地なしの作品に初めて出会ったような気がした。
★内容は終戦後、瀬戸内海の島に住む実直な警官の処に長男の遺骨が送られてきたところから始まる。親父は休暇を取って、九州の実家の墓へ長男の遺骨を埋めてやるべく家族を連れて、船に乗り行く話の途中に神戸やその他の終戦後の人々と生活がきっちりと描かれてもいる名作である。
★この脚色の中に、闇市のマーケットの物売りの役が出てくる。台詞3ッつくらいの役で「安いよ、安いよ、いらっしゃい、寄ってらっしゃい」というような売り子の親父の役があった。
★当然男役は全部森繁さんがやるので、「こんなちっちゃな役やるかな、繁さん」とディレクターのUさんが心配したのだが、杞憂に終わり、収録では森繁さんは嬉々として、その焼け跡の闇屋の掛け声を圧し潰したようなすばらしい声色でやっていた。
★「飢餓旅行」は3月27日~4月の14日まで、各日曜日の21時05分~35分まで30分4回で放送された。多分書いたのは1月頃からだろうと思う。
★もう一つこの年は忘れられない作品がある。特集スペースアドベンチャーとして、6月3日(月)~21日(金)までの土日を除く15回梶尾 真治原作のサラマンダー・殲滅という作品の脚色である。
★この原作はSFとしても優れていて、とてもスペクタクルなスケールの大きい作品なのだが、なによりも人間の心理がきっちりと書けているのである。
★これは、もし、原作を知ってハリウッドが買い付け映画化したら、おそらくスターウォーズを超える作品になると思う。それぐらい中身の濃い素晴らしい原作であった。
★これは、しかし、15分15回が足りないくらいで、縮小していくのに大変苦労した記憶がある。塩田朋子・塩沢兼人等の他、以前八騎人の「魔都彷徨」の折、主役を依頼して、もう少しのところで断られた、青年座の杉浦 悦子さんが出演され、再会したという因縁の作品でもあった。
★記録に残っているのはこの2本である。またこの年から国際オーディオドラマ森繁賞という国際的なオーディオドラマの賞が1994年迄放送作家協会で行われるのだが、小生は次の年1992年から審査員として参加することとなる。その話は次回に。
★今日は夕方家人と自転車で空堀川を所沢街道の辺りまで、行き、島忠に寄って帰ってきた。
★近所の方からブルーレイとDVDの再生機をいただいたが、取説がなかったので、パソコンでダウンロードして、なくなってしまったというリモコンは、各社共通のリモコンを買ってきて、再生が出来るようになった。便利な世の中になったものである。
★本日これまで。お休みベィビー!また明日。
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