私と演劇57 1987年その2

「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」2-2

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の舞台です。撮影 向 操

★わたしと演劇57 1987年その2

★さて、1月10日に正月特集ドラマとして「七草なずな」が放送された。

★そして、この年6月8日~19日迄土日を除いて全10回アドベンチャーロード・リチャードジェサップ原作の「摩天楼の身代金」のラジオドラマを脚した。これは多分3月~4月ごろ執筆したのではないかと思われる。
出演は森本レオさんが印象に残り、范文雀さんとは2度目の仕事であった。

★そして割合すぐ夏休みヤングシアターという枠で、さねとうあきら原作の「東京石器人戦争」を書いた。
この時は誰かが急に書けなくなり、代打で頼まれたのだと思う。話があってからの執筆期間はほゞ1週間だったと思う。

★しかし、なかなか優れた原作で、児童文学としては大変深い文明批判のテーマがあり、しかもわかり易く、スケールの大きなラジオドラマだった。まだあまり名前の売れていない内藤 剛さんが熱演していた。
これは児童劇にすればいいと、ある児童劇団に話したが、実らなかった。実にすばらしいドラマなのにもったいない。

★団地の脇の取り残されたような森に石器人が住んでいて、やがてその森を現代人が戦争を仕掛けて、めちゃめちやにしてしまい、団地の男の子と石器人の女の子が手を取って、全滅してしまった都市を新宿の高層ビルがまるで大きな墓標に見える処にアダムとイブのように二人だけで立ちすくむという恐ろしくも警鐘に満ちた作品である。

★1週間で書き上げたはいいが、当時はペンで原稿用紙に書いていた。万年筆と鉛筆の時代があったので、どちらかはわからないが、とにかく筆圧の強い人間なので、終わった途端右腕の関節が膨れ上がり、腱鞘炎になってしまった。

★その時は治療したが、担当の方には言わなかった。弱みは見せたくないと思っていたのかもしれない。

★そして同じ年12月14日~25日までのこちらも土日を除く10回各15分のアドベンチャーロード今西祐行原作「肥後の石工」を脚色し、放送された。

★肥後の石工には珍しい話がある。2年ほど前のブログに書いたかもしれないが、桃井 章さんがオーナーをしていた乃木坂のコレドに芝居を観に行って、そこに出演しているかなりお年の俳優さんと芝居が終わった後、話していて、こちらがラジオドラマを書いているというと、「そうですが、ラジオドラマは一度だけ主役で出たことがある」と彼は言った。

★「そうですか、なんというラジオドラマですか」と尋ねると、「肥後の石工」というドラマだったという。「それは私が書いたドラマですよ」という話で互いにびっくりした。彼の名は谷村好一さんといい、昔と違って喉の病気で手術をして大分声が出にくいようになっていたが、その芝居も実に存在感のある演技をしていた。

★ラジオドラマは1日か2日稽古をやり本番をやるのだけれど、何度も小生の書いたドラマに出て頂いた橋爪 功さんや
内野聖陽さんや小林 勝さん清水紘冶さん。お亡くなりになった林 隆三さん同じく鬼籍の范文雀さん等はこちらの事を覚えていてくださるが、普通2日位の顔合わせでは役者の方は作者の私の顔など覚えていない。

★わたしのほうも、いけない事だが、自分の書いた作品に出てくれたにも関わらず、その方が知名度のあまりない役者さんだったりしたらおぼえていないし、まして、若い頃すごく脇の役で出ていた方の記憶はない。

★そのためにこういう偶然の再会がある。谷村さんはラジオのテープを持っていないとおっしゃったので、CDに焼いて送って差し上げた。

★この年は多分芝居は八騎人自体が解散状態で多分公演はやっていないと思う。そんな1年であった。

★本日これまで。おやすみベィビー!また明日。
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G.C(グランド・キャノニオン)

Author:G.C(グランド・キャノニオン)
G.Cことグランド・キャニオン・ビリーブ・ミーこと高貴な谷、つまり 高谷信之のこれはブログです。

G.C(ジードットシー)はラジオドラマ80本書き、映画、テレビのシナリオを手掛ける。
また劇団ギルドの代表でもあり、劇団の運営、限りない創造に賭けており、また放送作家協会の理事でもある。
他にシナリオの書き方講師等もしている。

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