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私と演劇56 再び1986年に戻って

「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」2-1

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の舞台です。撮影 向 操

★私と演劇 56 再び1986年に戻って

★さて、ここで朝日新聞社の「戦後50年」というムックが手に入ったので、そこにある年表と対比して私と演劇を語って行きたい。

★そこで1986年に思いだ゛したことがあるので戻って追加したい。

★この年昭和61年3月下北沢の駅前劇場で3月25日~30日八騎人の公演小生の作演出で「ショートレイン」を上演した。
★この芝居は前年の吉祥寺バウスシアターで上演した、「スタイリッシュ・ラブ」という芝居の再演を企てた女性2人組が下りてしまったことにより、あらかじめ抑えていた、下北沢の駅前劇場で、しかたなく八騎人の公演として打ったといういきさつがあった。

★そういった色々ないきさつもあり、作・演出・プロデュースの小生はくたくたで公演をやり終えた。

★そして終わってすぐ4月1日からだったと思う。保育園の保母を退職した母がクリスチャンだったので、聖地巡礼の旅に行きたいといい、付き添いでついて来てほしいと言われていた。

★そこで、エジプトから入ってシナイ半島を北上しイスラエルに入り、ギリシャを経由して帰ってくるという約2週間の旅であった。母を含めて33名がクリスチャンで、私だけが洗礼を受けていない旅だった。

★シナイ山の麓で激しい下痢をして、一人山に登らず寝たままで過ごしたり、イスラエルに入ってキリストが涙を流したという苦悶教会の中で、何故か躯が震えてきて、傍らに居た母に「洗礼を受けたい」と涙ながらに言っていた。

★4月8日(何故かお釈迦様の誕生日に)キリストがヨハネから洗礼を受けたというヨルダン河で同行していた牧師さんの計らいで、小生洗礼を受けさせていただいたのである。

★しかしこのことは後に尾を引く。いろいろあって、約1年でわたしはキリスト教の教会から離れたことになる。

★このイスラエルの洗礼を中心にした物語が後に「砂漠巡行」、1992年の6月発表の作品と、とキリスト教を捨てたという事が1994年の「天主堂」8月発表のラジオドラマの元になって行った。

★そして時系列的に進めると私と演劇、前々回54回から55回にその年の夏盲腸で入院手術して、帰ってきて演出をして、志水 辰夫の「背いて故郷」を書いた。放送日は10月13日(月)~17日(金)20日(月)~24日(金)の計10回

★そして、秋、「七草なずな」を書き上げ、例の新橋 耐子さんとのバトルになるのである。

★こうして見ると、1986年小生43歳の年は、実に様々な事をやり、動いていたことになる。

★芝居とラジオドラマそして海外旅行と病気もして、忙しくこんなに多彩な1年もあまりないかもしれない。

★ここまでが私と演劇 「1986に戻って」でした。

★今日は午後、劇団員の長谷川が自宅兼事務所に来て、ラジオ台本の整理とラジオドラマ年表の作成を手伝ってくれました。

★お蔭て、ラジオドラマに関しては大分いつ何を書いたかがわかり易くなりました。

★本日これまで。お休みベィビーまた明日。
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プロフィール

G.C(グランド・キャノニオン)

Author:G.C(グランド・キャノニオン)
G.Cことグランド・キャニオン・ビリーブ・ミーこと高貴な谷、つまり 高谷信之のこれはブログです。

G.C(ジードットシー)は1972年からNHKラジオドラマを約80本書き、映画、テレビ中学生日記等主にNHkのシナリオを手掛ける。【ラジオドラマ】「枝の上の白色レクホン」では、芸術祭大賞をとり同じく『天主堂』ではギャラクシー賞優秀賞をとる。
また若者たちと劇団ギルドを1999年に立ち上げ、20年続け、37回公演で2018年秋解散した。70代後半に向かい、演劇のプロジェクト、あくなき、小説・演劇・シナリオの挑戦創造に賭けており、また日本放送作家協会の理事は岩間良樹理事長の時代より20年以上続けた。
他に長崎県諫早図書館・壱岐未来座等のシナリオの書き方、演劇の演出講師、指導等もしている。

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