私と演劇55 1987年その1

★写真は昨日5月12日、台風前の夕方の空です。
★わたしと演劇55 「1987年その1 ラジオドラマ」
★放送年月日は1987年1月10日(土)の夜、NHKで特集オーディオドラマ「七草なずな」という作品が放送された。
これは内田栄一さんの随筆集から小生がドラマに書き上げた60分の作品だった。
★この脚本は多分1986年の秋に書いて11月頃収録したと思う。
★そしてこの作品にはそうそうたる役者の方が出演した。
北村 和夫・加藤武・新橋耐子・殿山泰司・村田正雄・大塚国夫・森塚敏等文学座・青年座を代表するような俳優、そしてあの映画スターともいえる殿山泰司さん、3代目村田正雄は新派を代表する俳優さんでした。
★忘れもしない、リハーサルの時わたしは新橋耐子さんと喧嘩をした。それは空襲で焼夷弾を浴びながら子供を背負って叫びながら新橋さんが走るシーンだった。新橋さんが「こういう書き方の台詞だとうまくしゃべれない」と言うような言い方をした。
★そこは回想シーンだったので、私はセリフを日常の喋り方とちょっと工夫して、わざと加工していたのだ。
★それが新橋さんとしては気に入らなかったのかもしれない。
★私はその旨を説明した。新橋さんは引かなかった。あんに「直さなければしゃべれない」というような勢いだった。私も若かったし、作者としては意図もあったので改訂は認められなかった。
★そうそうたる役者さんの居るリハーサルの只中で言い争いに近くなったとき、文学座の先輩である北村和夫さんがとりなし、演出の伊藤さんがまとめて、その場はセリフを大きく直すことなく行くこととなった。
★翌日の本番のせりふ収録の時だった。新橋耐子さんの演技は神がかっていた。この本はそれぞれ力と味の有る役者さんによって、何とも深みのある作品になったのだけれど、中でも燃え盛る火の中を、子供を背負って逃げる新橋耐子さんの演技は、遥かに私の書いたセリフの領域を超えて素晴らしかった。
★後年ある酒席でこの時の話をご本人にしたが、新橋さんはまるっきり覚えていなかった。新橋耐子さんは今まで私があった女優の中では一二を争う。
★文学座で思い出すのは亡くなった太地喜和子さんである。私が29歳の頃1972年頃だったと思う。ジョン・オズボーンの「怒りを込めて振り返れ」の五月舎公演の時に彼女は山口崇さんと共演して、主演をしていた。私は小道具係りで、暗転中に部屋の箪笥の中身を替えたりという仕事をしていた。
★袖から出る前の太地さんをよく見ていたが、山口さんの腕にすがってブルブルと震えていた。ところがいったん舞台に出て光を浴びると、素晴らしい演技をした。
★そしてまた、ほかの方は初日が開けると、稽古で作り上げた芝居を一定にキープして演じていたが(これが大体プロの役者の有様である)太地さんだけは、ドンドン芝居が良くなっていくのがわかった。初日よりは2日目2日目よりは3日目と芝居は裏方から見て、ドンドンよくなっていくのだ。それも決してアンサンブルを崩さないように・・・・
★文学座は杉村春子さんを棟梁として成りたっていた劇団で、杉村さんを慕って多くの女優さんが入団したが、この二人を観ても杉村さんが如何にすごかったかが推測できる。
★ちなみに二宮さよ子さんは私のラジオデビュー作「風に舞う木の葉のように」で素敵な色っぽさを出していただいたし、吉野佳子さんは「妻の父」で、小生の家人に当たる役を演じていただき、ご本人の諸々の私的事情とも重なり、身につまされたと言って、素晴らしい演技をしてくださった。
★初めてのシナハンに行った作品、神保共子さんの「古里まとめて花一匁」の悲しく深い演技も忘れられない。
★話はそれてしまったが、文学座の女優さんには大変お世話になった。みなさんが、小生のつたないセリフを輝かせてくださったのであります。
★ともかく力ある役者さんと演出のお蔭で、「七草なずな」は重厚で、ちょっぴり粋な江戸前の作品になり、正月を飾る事が出来たのである。私の中では一番大人っぽい作品になったのではないだろうか。
★本日これまで。お休みベィビー!また明日。
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