私と演劇54 1986年

蛍舞台A-4

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の舞台です。 撮影 向 操

★私と演劇54 1986年

★この年の事は良く覚えている。というのは、初夏だったと思う。高円寺の明石スタジオで「眠れ愛しのリリー」という作品の再演を上演すべく稽古をしていた。

★ところが途中で小生は盲腸になり、その痛みを散らしていたのだが、上演の2週間前ついに限界が来て、手術をすることになったのである。

★私は入院し、手術をすることになった。そして演出を以前八騎人の仲間でもあったM君に頼んだ。

★M君が悪いのではなく、むしろ助かったのだが、1週間たって退院してみると、私が想像した稽古とは全く違う物に仕上がっていた。

★なるほど、芝居は演出が変われば内容も変わる。私は驚いたけれど、とにかく公演まであと、4,5日なので、とにかく、私のイメージする舞台に作り替えるというか、戻さねばならない。

★私は必死になって、激しくただ怒鳴り合っている芝居を、滑らかな部分と激しい部分との緩急を整えて作り直して、ギリギリ間に合わせた。

★この公演はスタイルとしては、一気に3日とか4日やるのではなく、週末に2回また次の週末に2回というように3か月ほど上演するというぜいたくな上演方法ではなかったかと思う。

★そて何とか公演は打ち上げた。と同時位にNHKFMのアドベンチャーロードの仕事が入ってきた。

★脚色した作品は志水 辰夫の「背いて故郷」だった。放送日は10月13日(月)~17日(金)20日(月)~24日(金)の計10回であった。

★多分夏退院してすぐに書き始めた。今でも覚えているのは、手術後でスタミナがなく、15分書いては10分横になり、また頑張って10分書いては5分横になるという状態で書いた。

★その為出来上がってから、演出のIさんからパワーがないと怒られた。やはり、作品には己の体力というものが気力以上に影響するのだという当たり前の事を、改めて、認識した。

★作品は、橋爪 功さんの丁寧な芝居や、独特な雰囲気の高畑 敦子さんの演技によって救われたように思う。私の中ではこの作品はとても印象深いものとなった。

★亡くなってしまったが、文学座の篠倉 信子さんのラジオドラマデビュー作でもあり、その初々しい演技も印象深い。

★また、当時八騎人のいさらい 香奈子さんも脇役で初めてラジオドラマ初出演をした。

★多分1986年は芝居1本とラジオ脚色1本、そして年甲斐もなく中年での盲腸手術の1年であったように思う。

★今回ここまで。

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
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G.C(グランド・キャノニオン)

Author:G.C(グランド・キャノニオン)
G.Cことグランド・キャニオン・ビリーブ・ミーこと高貴な谷、つまり 高谷信之のこれはブログです。

G.C(ジードットシー)はラジオドラマ80本書き、映画、テレビのシナリオを手掛ける。
また劇団ギルドの代表でもあり、劇団の運営、限りない創造に賭けており、また放送作家協会の理事でもある。
他にシナリオの書き方講師等もしている。

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