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私と演劇53 再び1985年

蛍舞台A-2

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の舞台です。 撮影向 操

★私と演劇53 「再び1985年」

★1985年は手元にある資料としてはNHKFMのアドベンチャーロードで7月1日(月)~7月5日(金)・7月8日(月)~12日(金)の各10回で、北方 謙三作・高谷脚色で「危険な夏」を放送している。

★ということは4月~5月ごろまではこの作品の脚色をしていたのだと思う。

★これが小生の書いたラジオドラマに原田芳雄さんが出演した最初でもあった。共演内藤 剛・谷 隼人で、小生が書いたハードボイルドとしては第一作目だった。

★原田さんとはこの先何本かラジオの脚本で関わるのだが、当時から実に渋い声で渋い芝居が出来て、すばらしい役者さんであった。残念なことにまだまだという時に亡くなられた。。

★さて、脚色という仕事は原作をまるで顕微鏡で見るように観察して、何回も何回も読み返すことから始まる。多分よっぽどのマニアは置いておくとして、原作の本を一番何回も読むのは多分脚色者か、それをドラマにしようと先に考えたディレクターではないかと思う。

★例えば、その仕事に入る前は北方 謙三のファンだとする。それも大好きな作家だったとする。でもここで考えてほしい。どんなに好きな女でも顕微鏡でその肌の細胞を何回も見たら、欠点やあらが見えて来て、大方嫌いになる。
いやそんな荒れた真実の肌の細胞まで好きだという人は非常にまれか、すこし変態じみていると思う。

★わかりますか?そういった理由で、北方謙三も志水 辰夫も本当に好きな作家だったが、脚色し終わると、様々な弱点が見えて来て嫌いになってしまった。

★これは何も上目線で言っているのではなく、本当に繰り返し細部まで小説を読み尽くすと、誰にでもそういう事は起ってくるのだと思う。

★だからして、好きな作家の脚色や潤色(潤色の意味は脚色より更に色を付けて加工すると、私は考えている)は出来ればやりたくない。

★同様に嫌いな作家の小説の脚色もやりずらい。出来れば好きでも嫌いでもない作家の小説やエッセイを脚色したいとおもうのだが、仕事は先様から来る場合がほとんどなので、そんなにうまい具合にはいかないのである。

★この年芝居もしたと思われるが、現在芝居の年表が手元になくはっきりとしたデーターがわからない。ともかくこの年はこの作品のラジオドラマしか現在記録が残っていないので、またあらためて、分かったときにこの年1985年の事を書こうと思う。

★というわけで今回はこれまで。

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
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プロフィール

G.C(グランド・キャノニオン)

Author:G.C(グランド・キャノニオン)
G.Cことグランド・キャニオン・ビリーブ・ミーこと高貴な谷、つまり 高谷信之のこれはブログです。

G.C(ジードットシー)は1972年からNHKラジオドラマを約80本書き、映画、テレビ中学生日記等主にNHkのシナリオを手掛ける。【ラジオドラマ】「枝の上の白色レクホン」では、芸術祭大賞をとり同じく『天主堂』ではギャラクシー賞優秀賞をとる。
また若者たちと劇団ギルドを1999年に立ち上げ、20年続け、37回公演で2018年秋解散した。70代後半に向かい、演劇のプロジェクト、あくなき、小説・演劇・シナリオの挑戦創造に賭けており、また日本放送作家協会の理事は岩間良樹理事長の時代より20年以上続けた。
他に長崎県諫早図書館・壱岐未来座等のシナリオの書き方、演劇の演出講師、指導等もしている。

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