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私と演劇52 番外若頃見た舞台

蛍舞台A-1

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の舞台です。 撮影 向 操

★私と演劇52 番外 若い頃見た芝居。

★さて、話はコロコロ飛んで行くが、高校生の頃見た芝居についても述べておきたい。

★最初のいわゆる新劇という物を見たのは静岡の公会堂で、新劇合同公演「関漢卿」(カンファンチン)であった。出演は山田五十鈴と滝沢 修だったと思う。1959年のことで、はっきり言って、中国風の衣裳を着た山田五十鈴と滝沢修がボンヤリと記憶にあるが、ほとんど印象は残っていない。

★その他静岡では俳優座のロマン・ローラン作「愛と死の戯れ」を観た。仲代 達也がまだ新人で大抜擢されての舞台だと思う。相手役は小沢 栄太郎で、長い仲代の足と、独特なちょっと滑舌の悪い長台詞の喋り方は良く覚えている。

★その仲代達也がもう82とかで、大ベテランになっているとかで、何とも年月の経ち方に驚かされる。

★静岡では演劇鑑賞団体に入っていたのだと思う。そして俳優座公演、阿部公房作の「幽霊はここにいる」も観た。
三島 雅夫が主演で、この時も田中 邦衛という新人が抜擢された。

★この人も口をもぐもぐと言わせながらしゃべるので、俳優座の新人は滑舌がずいぶん悪いやつが多いなーと生意気にも思った記憶がある。

★上京して、1961年か2年に東横ホールで、民芸の久保栄作「火山灰地」を観た。冒頭下手から上手へ舞台上を蒸気機関車の煙が汽笛の音とともに走り、舞台中央の切株に腰かけた宇野 重吉が語りだす。

★「先住民族の言語を翻訳すると川の流れたところを意味するこの町は、日本の北の果ての農業都市・・・・」とよく真似をしたセリフをとつとつと語りだす。

★この公演では、大滝 秀治と垂水 吾朗が新人ながら重要な役を与えられて舞台に立ったのだけれど、ぎこちなく、本当に下手な感じがした。後年垂水さんは小生の書いたラジオドラマ「妻の父」で父役をやられ、実に渋く素晴らしい演技をされたが、亡くなり、大滝 秀治さんも大俳優ことで先年亡くなった。

★こう考えると、年月の重さと速さをしみじみと思ってしまう。

★当時は本当に俳優座や民芸の芝居をすごい舞台だと尊敬のまなざしで見ていた。だが、それをまっこうから否定する鈴木忠志に1962年に会い、新劇団自由舞台で役者をやり始めて、小生の頭の中は混乱した。

★別役 実さんもまだ劇作家としてはほとんど無名で、「象」や「AとBと一人の女」を書き、やがて、「象」が本になる前の頃の話である。

★映画の世界はフランスを中心としたヌーベルバーグが席巻していて、ヨーロッパではアンチ・テアトルとしてシヨネスコやベケットが出ては来ていたが、日本のほとんどの劇団はリアリズム演劇の只中に居た。

★ほとんどの劇団と言っても文学座・俳優座・民芸に俳優座の衛星劇団新人会・三期会・そして葡萄の会・東京芸術座等とほとんど大所帯の数えれば両手の指で足りるほどの劇団しか日本のプロ劇団は存在していなかった。

★そんな状況下で小生は「青の劇場」という集団を作り、ラ・シーヌの「ブリュタニキス」を演出しながら出演もしたが、たった2回か3回の公演を打ってその後は解体してしまった。

★というわけで、今回はこれまで。

★本日これまで。お休みベィビー!また明日。
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プロフィール

G.C(グランド・キャノニオン)

Author:G.C(グランド・キャノニオン)
G.Cことグランド・キャニオン・ビリーブ・ミーこと高貴な谷、つまり 高谷信之のこれはブログです。

G.C(ジードットシー)は1972年からNHKラジオドラマを約80本書き、映画、テレビ中学生日記等主にNHkのシナリオを手掛ける。【ラジオドラマ】「枝の上の白色レクホン」では、芸術祭大賞をとり同じく『天主堂』ではギャラクシー賞優秀賞をとる。
また若者たちと劇団ギルドを1999年に立ち上げ、20年続け、37回公演で2018年秋解散した。70代後半に向かい、演劇のプロジェクト、あくなき、小説・演劇・シナリオの挑戦創造に賭けており、また日本放送作家協会の理事は岩間良樹理事長の時代より20年以上続けた。
他に長崎県諫早図書館・壱岐未来座等のシナリオの書き方、演劇の演出講師、指導等もしている。

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