私と演劇51もしくは映画8

★写真は緑の木々です。
★私と演劇51 「私と映画8 ヌーベルバーグ」
★高校を出て、静岡から東京に出てくるのだが、1960年の暮れ、先日閉館した新宿ミラノ座で、同級生のO君と西部劇「アラモ」を見たのを覚えている。この間早稲田予備校の冬季講座をO君と短期間受けに来ていた間の息抜きだったと思う。
★開けて1961年早稲田の一文を受験し、見事に落ちて、二文に引っかかった。
★前年1960年から20数回も職を変えた父が、東京でたまたま職が決まって、小生もバイトをしながら、大学へ行けることになった。この一年だけはかなり父も豊かで、ほとんど小生もバイトをしなかったように思える。
★翌年父の会社が倒産し、小生が失業した父と上京してきた妹をバイトで食べさせる自体にはなるのだが・・・・
★そう、今日は映画の話だ。大学に入ると、もろにヌーベルバーグの影響を受けた。中でもJ.Rゴダールの「勝手にしゃがれ」に一番衝撃を受けた。後に惨殺されたジーンセバークの初々しさと、J.Pベルモンドの切なく哀切な胸を突く物語と、革命的なラウル・クタールのカメラには本当に参った。
★トリフォーの映画もそれなりに良かったし、アラン・レネの実に独りよがりな迷宮の様で難解な映像も好きだった。だが、小生にとっては、ゴタールの衝撃が一番でこれには何者も勝てなかった。
★映画というのは観た人間の年齢やその時の状況によって、違ってくる。例えばヌーベルバーグではないが、同時期の、ミケランジェロ・アントニオーニの映画はテンポがゆるくて、当時19歳か20歳のわたしにはついて行けないほど、たるかった。
★ところが、40歳を過ぎて、ある時TVで見た深夜映画で「情事」を見て、ゆっくりとパーンしていく冒頭のテンポが実に生理的に心地よくなっている自分を知った。そして、ビデオで「赤い砂漠」等を見直した。いい映画だった。
★もともと、イタリアンリアリズムのビットリオ・デシーカ等の作品を高校生の頃観て感動していたが、パゾリーニとかフェデリコ・フェリーニ等リアリズムを超えて新たな地平を切り開いたイタリア映画にもかなり影響を受けた。
★リアリズムと言えば先に小生がラジオドラマに脚色したポーランドの鬼才アンジェイ・ワイダの「灰とダイアモンド」や「地下水道」も好きな映画であった。
★こうして、小生はヌーベルバーグの波をもろに浴びて、育った。もう一つ映画とは関係ないが、私が通ったのは当時の生演奏をやっているジャズ喫茶だった。新宿歌舞伎町の「ラ・セーヌ」や池袋の「ドラム」名まえは忘れたが、現在の渋谷センター街の中ほどにあった油圧式で丸いステージがせり上がりながら2階へ行く店へよく通った。
★学生劇団に入ったにも関わらず、ジャズ喫茶へばかり入りびたりになっている小生に先輩はあきれて言った。「お前、芝居やりに来たんなら、芝居を観ろよ。ジャズ喫茶ばかり入り浸って、おかしいだろう」と。
★当時はいかりや長介がリーダーになる前の「桜井輝男とドリフターズ」や、ジェリー・藤尾・渡辺友子・森山加代子・平尾正章・坂本 九等が生で歌っていて、入れ替え無しだったので、コーヒー一杯で2ステージも飽きないで見ていた。
★水原 弘などもドラムでワンマンショーをやっていたりした。当時は今のライブ会場もなく、さりとて武道館などないから、ジャズ喫茶とかもうすこし器の大きい処と言えば、渋谷公会堂のような公会堂みたいなところしか歌手が生で歌う処はなかったのである。
★話がそれすぎたので、この項はこれまで。
★本日これまで。おやーすみベイビー!また明日。
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