アビ、永遠に

★写真は若き日のアビです。
★2015年5月2日午前3時10分、アビは永遠に旅立ちました。
★最後まで、寝ているところから這って出て、決められたおしっこ場まで行こうとして、よろけて横倒しになって・・・・
★寝ていた家人が起きて看取る中、その後1時間ほどして、1回大きく溜息のような呼吸をして亡くなりました。
★2000年の10月半ばの夕方、深川のお稲荷さんの境内で、「キャキュキョ」といって家人の前に姿を現してから、14年と7か月本当に私達を幸せにしてくれた猫でした。
★初めは八王子の団地だったので、飼うつもりもなくて、家人が当時勤めていた深川のCM会社の倉庫で遊んでいて、近所の子供たちの人気者でした。
★大人は「熊の子みたいだ。ブスだ」と言われましたが、不細工なぬいぐるみのような黒い猫は私達には素敵でした。
★土日は小さな籠に入れて家人が八王子のメゾネットになっている団地に運んできました。
★やがて誰も引き取り手がなく飼う事になりました。
★初めは猫が苦手な母も、次第にアビの可愛さにとりこになっていきました。
★黒くとても痩せてスマートで寒がり屋だったので、深川の近所で呼ばれていた「クマ子」はあまりにも可哀そうだとアビシニアンのアビと私が命名しました。
★やがて、大泉の劇団の事務所にわたしや劇団員たちと一緒に過ごした何年かがあって、そこでは「阿鼻叫喚」のアビだとも言われて、でも劇団員にもかわいがられました。そしてここ東村山にやってきたのです。
★猫舌の定説を覆すように、お湯が好きで風呂桶に汲んだお湯を飲み、私や家人が交代に風呂に入るとやってきて、風呂の蓋の上に乗り、浸かっている湯をぺろぺろと舌を器用に巻じゃくって掬っては飲んでいました。
★そんなにすきだったお湯も小さな注射器で入れてあげても、昨日はほとんど飲めないようになり、私達は覚悟を決めました。
★もう何日も前から苦しそうなアビを見るたび、涙がこぼれそうで仕方がありませんでした。
★不器用な小生は水を旨く注射器で飲ませてやることも出来ず、もっぱら家人にまかせ、たださすって声をかけてやるだけでした。
★命ある者はやがて滅すという絶対があるにしても、なんとも悲しくやり切れないここ数日でした。
★アビも深川で家人に出会えて幸せだったと思います。私たちはもっともっと幸せをアビからもらいました。
★ありがとうアビ。永遠に・・・・また会おう必ずな。
★本日は小生は、近くの病院に行きやっととりあえず、1つは抗生物質を1週間のみ治りましした。2週間置いて精密検査という事になりました。左手のバネ指と右肩の痛みは整形外科が貴君曜日はやっていなかったので、連休明けに診てもらう事にしました。
★一端帰ってきて、東村山の駅前のドコモへ行き、1時間待って、無料で契約した数種類のあまり関係のない契約を破棄する手続きをしました。
★後はアビの心配をしながら、新聞の片づけなどをしましたが、とうとうアビは旅立ってしまいました。
★アビを愛し、気にしてくださった方々ありがとうございました。アビはそんなに苦しまずに旅立ちました。
★アビは先に2月頃亡くなった家人の友達家の猫のお墓の傍に埋めてやるつもりです。
★しばらくはペットロスのつらい日々が続くと思いますが、7月の芝居に向けて懸命に頑張るのみです。
★本日これまで。おやすみベィビー!また明日。
スポンサーサイト