私と演劇49もしくは映画6

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の舞台です。 撮影 向 操
★私と演劇49 「映画6 観客として」
★さて、小学校4、5年は何故か新東宝の映画をよく観に行った。高宮敬二、吉田輝男、寺島達夫、菅原文太等がハンサムタワー等と売り出していた頃だ。
★森繁久彌が東宝へ移る前で、サラリーマン物の主役をやっていた。その他は天知 茂、高島忠夫、女優では三原葉子等が「女王蜂の怒り」とか「女王蜂の逆襲」等という映画に出ていたように思う。
★思うというのは、観たことは見たが、正確な事は分からない。正確な年代とかのデーターを知りたい方はネットで調べてほしい。ただ、ネットは間違いが多いが。
★中学の後半になるまで、洋画はあまり見なかった記憶がある。新東宝の次に見た映画は松竹が多かった。後に東宝、大映、東映では子供向けの「白鳥の騎士」「笛吹童子」「紅孔雀」等、NHKのラジオドラマからの映画は見たが、いずれも大人の映画を観ていた。
★一つにはその頃配給会社によって上映館がきまっていて、静岡ではそれぞれの映画館は大体近いところにあるのだけれど、子供ながらにその利便性や何しろ情報がないので、映画館に貼ってあるポスターを見て映画を選択していたからだと思う。
★そして又。その頃学校で時に連れて行く文部省推薦の映画の他、子供向きの映画が少なかったせいもある。今のようにアニメ映画はなかった。
★当然ませていた小生はポスターをみては海女の姿に刺激されたり、なんとなく扇情的な題にひかれて、新東宝のややエロチックな映画を選択していたように思う。とにかく映画が好きで見まくった。
★一番覚えているのは小津安二郎の「彼岸花」等をみて、涙を流していた。
★その頃小生の家は、過度の貧困のゆえに母と父方の祖母と父の三つ巴の喧嘩が絶えなかった。
★一方小津の映画は親たちが、娘のお見合いや結婚に一喜一憂しているという部分しか見えてこなくて、「ああ、家庭とは本来こういうどうでもいいことで親が心悩ませたり、子が親の気持ちを察したりするのが当たり前なのだ」と思った時に自らの家庭との違いに子供ながら涙を流していたのである。
★後に小津安二郎の国際的な評価や、床下から仰ぐカメラの角度等の知識を得て、もう一回見直したが、当時はあるべき家庭というものを突き付けられたようで、くやしさと、複雑な想いに涙がとまらなかったのが、一番のこの頃の映画鑑賞の強烈な記憶である。
★やがて、洋画を見まくるようになるのだが、そのことは次回に。
★アビは今日も具合悪く、家人が医者へ連れて行って、注射をしてもらう。自力では水も飲めない。哀れでならない。
★本日これまで。お休みベィビー!また明日。
スポンサーサイト