見かけでの判断

★写真は多摩湖の池で見た水鳥多分鵜の羽ばたきです。
★さて、小学校6年の時の同窓会でとんでもない誤解を解いたという話である。
★当時今のように写真をお互いに撮るような状態にはなく、たいていが集合写真だった。
★典型的なのは修学旅行で東京へやってきて、皇居の二重橋の前で皆で撮った写真がある。
★この写真、秋だったので、もう翌年の3月の中学進学に備えて、男は皆黒い詰襟か襟のフラットな小学生用の黒い制服を着ている。
★中に二人だけ、しゃれた毛糸のチョッキに白いYシャツに半ズボンという子供が2人映っている。
★一人はK君。残念なことに数年前に亡くなってしまったが、一人は小生である。
★おまけにわたしは白いしゃれた丸く淵のある帽子までかぶっている。
★この写真が皆の記憶に強烈に残っているため、小生はいいとこのお坊ちゃんと思われていたらしい。
★事実は逆で、皆の着ているような制服を買う金がなくて、東京の親戚から小包で送っていただいた、いとこのお古を着ていたのである。
★その頃5人兄弟に祖母を入れて8人家族。父の働きがままならず、しょっちゅう職を変えたり失業していて、かろうじて母の稼ぎから一家8人が食べていた時代である。
★一日おきに素うどんとか、みそ汁と海苔のない塩結びに沢庵だけの夕食であり、畳は藁に成り果てて、新聞紙を敷いた藁の下の床の隙間から、木枯らしが吹き上げていた時代である。
★一応、日本はやっと朝鮮戦争特需によって経済が上向きになっていた頃だった。
★とにかく、周りに比べてひどい貧乏だった。
★しかし、着ている服がしゃれたお古だったために、小生は一部の特に服装に敏感な女の子たちからいいとこのぼっちゃんと思われていたことは実にショックでもあり、やはり人間は特に純粋な子供であればあるほど、服装や見かけで、判断するという当たり前の事を同窓会で学んだ。
★小生が他の家と比べてもものすごく貧乏だったという事は、昨日の酒席での会話では伝わったかどうかは怪しい。
★誤解を解くべく当時の状況を説明しても「そうだったの・・・・?」とあまり信じていないようだったからだ。
★それはどうでもいい、60年も前のことなのだから。しかし、人はやはり服装で人を判断するという事には殊更意を強くした。
★それもあって、芝居をずっとやっていながらもラフな格好は未だに苦手である。どちらかと言えばジャケットをちゃんと着て、ズボンもどちらかと言えば、Gパンや綿パンでない物の方が落ち着くのである。
★70を過ぎて、近頃ちょっと見は普通のズボンに見える黒いGパン等にやっと慣れてきたような具合である。
★結局昨日は慌しく夜中に帰ってくるのも疲れると思い、静岡に泊まり。今日はどこにもよらず朝10時過ぎに静岡を出て、1時過ぎには東村山の自宅に着いた。ちょっと間違うと、静岡から東京駅迄の方が時間はかからないのである。まあ、便利な世の中になった。
★風雨が激しく春の嵐のようだったので、早めに帰ってきて助かった。と書いて年は取りたくないものであると更に思う。
★だって、昔は嵐を面白がっていたじゃあないか。
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
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