私と演劇46もしくはもしもあの時

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の舞台写真です。 撮影 向 操
★私と演劇「46 もしもあの時」
★さて、もしもあの時・・・・という事を言っても虚しいけれど、もしもあの時という事は人の歴史にはいろいろある。
★しかも。当の本人が知らぬ間に自らの運命が変わってしまうという事が往々にしてあるのだ。
★色々あった中で審査というのはそうした人生の岐路に立ちあったり、そうした岐路を選定してしまったりする。
★一番目はある時前述の橋浦方人監督から電話がかかってきた。内容は、「星空のマリオネット」という映画を撮るためのオーディションをやったのだが、主役の1人をどっちにしようかと決めかねている。一人はつか こうへいの処で芝居をやっている三浦洋一という者だ。こいつがいいと思うのだが、あいにく彼の舞台を見たことがない。あんたは見たことがあるのかという電話だった。
★私は見たことが有ったので「ああ、観たことあるよ、彼なら大丈夫じゃないか、中々芝居の出来る奴だよ」と答えた。
「そうかありがとう」と言って橋浦監督は電話を切った。
★それから数日して「星空のマリオネット」というATGの映画の主役は三浦洋一に決まった。その後テレビの新シリーズ「7人の刑事」に刑事役で出たりして、三浦洋一は有名な役者になった。残念なことにお亡くなりになったが、私とは1回も仕事をしたこともなく、彼はそのことを知らずに亡くなった。
★いや、知ったからどうという事ではなく、もしあの時の電話に「ああ、彼の舞台は見たけど、あまりパッとしなかったぜ」と言っていたら三浦洋一の運命は変わっていたかもしれない。
★その後やはり「海潮音」という映画を橋浦監督が撮るときにオーディション用の台本を作ったり、小生も審査員として参加した。この時は烏丸せつ子とTという女優が最終候補になった。審査員は5人で監督やプロデューサーの意見が2対2に意見が分かれた。
★そこで、最後の1票が私という事になってしまった。私は烏丸を推した。エチュードの時いきなり床に寝て演技を始めたことに1日の長があると思えたからだ。この映画の審査は3対2となり、烏丸に決まった。
★この話には続きがある。後年その時落ちたTという女優が私の書いたNHKのラジオドラマに小さな役で参加してきた。
彼女のスタジオでの最悪な態度を見てしまった私は、密かにあの時烏丸に票を入れて良かったと思った。だがT本人はそんなことは知る由もない。もし「海潮音」で合格していれば、彼女の女優としての行き方も変わっていたかもしれない。
しかし、それは分からない事だ。
★ある時NHKのラジオドラマのシナリオコンクールで最終審査に上げる10本が決まった時が有った。一人の審査員が言った「そういえばさー、2次審査の時に読んだ時代劇のシナリオ、あれ良かったと思ったけどいつの間にか消えてるね」と。すると、事務員がここにありますよとその作品を持ってきた。
★審査終了の時刻まで、あと15分有った。その時の審査委員長が「じゃあ、高谷さん、あなた読むの早いから、それ読んでみて」と言った。私が読むと、最終候補に挙がっている中よりもかなり上質であった。結局その1本は最終候補に敗者復活のようにしてのこり、やがてグランプリを取った。
★しばらくして、NHkのテレビで時代劇のシリーズが始まり、その執筆に決まった3人のライターに一人新人を付け加えることになった。そこで、たまたまラジオのシナリオコンクールでグランプリをとったその人に白羽の矢が立った。
★こうして、ラッキーな事にこの方は10年程経って朝ドラを書くことになり、それも視聴率に恵まれて、次に大河ドラマを書くことになった。
★やはり、人生にはもしもという事がある。そこに15分という時間がなかったら、読んだ小生が「これは、たいしたことないよ、2次で落ちるはずだよ」と言っていたらこの人の人生も大きく変わっていたかもしれない。
★私は何も自分の審査力を自慢しているわけではない。誰に限らずこうした本人の知らない処で、何かの岐路に立たされ、運を開けていく人。あるいは運がなく、失敗していく人がこの世界にはあるという事だ。
★勿論チャンスは1度だけではない。1度失敗しても、力のある者は必ず復活したり、別の道を通って、成功への道を辿ることになるだろう。そのためにひるまない努力だけは怠ってはいけないと思うのです。
★今回の話はここまで、また次回に。
★本日は下北沢に吉村ゆうさんの「東京ハイビーム」の公演を観に行ってきた。小生にはまねのできない、相変わらず手慣れたライトコメディーで楽しませてもらった。終って、しばらくぶりに会ったJ-Theaterの小林 拓生さんと吉村さん等と語り合った。
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
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