私と演劇40

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の舞台です。 撮影 向 操
★私と演劇 「40 運をもっているか?」
★さて、これより2年前、1982年の事だったと思う。相米慎二監督の「ションベンライダー」という映画の演技指導を撮影前の日活撮影所で頼まれた。
★相米監督との出会いと、一緒にした仕事については、長くなるので、稿を改めて書きたいと思うが、当時撮影の始まる前に、オーディションで合格して九州からやってきた、永瀬正敏と、今盛んに司会でブレークしている坂上忍、そして当時は鈴木と言った後の河合美智子ともう1人止めてしまったが、太めの男T君等4人を、撮影に入る前の10日間くらい演技の基礎を叩きこんでほしいという依頼であった。
★当時私は連日日活の撮影所に通い、この少年少女にエチュードをやったり、発声から歩き方、演技の基礎を短期集中で叩き込んだ。
★そして、その映画には私も出演したのだけれど、その話は後ほど。
★そんなことがあり、当時のプロダクション、キティーフィルムのマネージャーから中学生のタレント候補の女の子6人程を預かり、毎週土曜日か日曜日の1日ワークショップの指導をした。
★今のアナウンス学院の校舎を借りて、毎週3時間ほどの特訓を半年ほどやった。
★さすが気鋭のプロダクションが集めた中学生の女の子たちは、それぞれ個性もあり、授業を終わって新宿駅の方向に歩いて行くと、行きかう通行人が振り返るほど、いずれもスタイルもよく、かわいいタレントの卵だった。
★半年ほど教えたが、その中で、一番地味な感じでオーラもあまりないようなのIという子が、その後フジTVで主役をやり、その後はCMタレントとして、随分長くTVに出ることになる。
★今ではすっかりおばさんになってしまったが、名前は知らなくても、誰もが「あァ、あの顔CMでよく見るね」と言うくらいの存在になった。
★あともう一人スタイルのいい子で日本石油のキャンペンガールかなんかになったが、その後鳴かず飛ばずというようにいつの間にか消えてしまった。
★それほど、芝居もうまくなく、根性があるとも思えず、地味で、そんなに可愛いくもない子が、一番長続きをして生き残ったのだから、芸能のこの社会は分からない。
★言っておくが、それこそ、私が教えていた6人はどれも粒ぞろいのプロポーションとかわいらしい子たちだった。あの頃AKBのようなアイドルグループがあれば、どの子もキラキラしていて、きっとそれなりにファンをつかんだであろう。
★全てとは言わないが、この世界はどれだけ運を背負っているかに尽きると私がしみじみ思ったのは、この経験に寄るところが大きい。
★タレントだけではなく、ラジオやテレビの脚本家も実力だけではなく、そういう運や出会い方によって仕事の仕方が変わってくるのだが、そのことも稿を改めたい。
★続きは又次回へ。
★今日は昨日の続きで、腹が芳しくなく、1日休息に近い状態を過ごした。
★本日はこれまで。お休みベイビー!また明日。
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