私と演劇37

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の舞台写真です。撮影 向 操
★私と演劇 「37 正月興行」
★さて、1983年の暮れでした。同年の3月1日~3月6日に下北沢の鈴なりで「命短し恋せよ乙女」を上演してから、八騎人は完全に休眠状態に入っていました。
★高円寺の明石スタジオで、「発見の会」の牧口 元美さんが、正月に芝居をやらないかと提案したのです。
明石スタジオは由緒ある劇場で。
★昔大正時代、島村 抱月の主宰していた芸術座にいた松井 須磨子と対照的に 故事の須磨、明石から島村抱月さんが名づけた明石 澄子という女優さんがいらっしゃいました。
★その明石さんがご自分のお名前を冠して、高円寺にお造りになった劇場なのです。
★そのお孫さんの故宮本さんと家人が知り合いで、明石スタジオとは浅からぬ因縁もあったのです。
★その劇場で当時には珍しく(商業演劇以外で当時正月に芝居をやるという小劇団はありませんでした)正月の2日~7日まで芝居をやろうという事になりました。
★牧口さんが時代劇をやろうということになり、口建てで喋ったことを小生が本にしてやろうという試みです。典型的な峠の茶屋を舞台に立ち退きを迫る悪い地元のやくざがやってきて、そこに新撰組の近藤勇やや水戸黄門がやってきたりして、大騒動になるという正月向けの芝居です。
★「夢、ありてなければ」という題で八騎人とは関係なく、私は脚本だけを担当しました。演出は牧口さんです。
★ところが出演が決定していた占いのおばあさんが役を下りてしまい、日にちがなく、仕方なく私が女装してその老婆の役をやることになってしまったのです。
★この続きは次回。
★アビは昨日調子が悪く一晩中鳴き続けて、家人も小生もいささか睡眠不足の状態になってしまいました。
★相変わらず水が自力では飲めず、餌も食べられないので、注射器で水を与え、チューブの餌を口に一生懸命入れ込むという状態でした。
★夜、再び動物病院へ自転車で連れて行きました。再び血液検査をして、ブドウ糖の注射をして、明日の甲状腺の状態の検査結果を見て、何らかの処置をするという事になりました。
★アビは今日は覚悟したのか、慣れたのか、比較的おとなしく病院で治療を受けました。帰ってきて、病院で購入して来た餌を少し食べて、鯵をすこし食べたようです。
★今日は鳴かないで寝かしてくれるかな・・・・
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
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