私と演劇34

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の稽古風景です。
★私と演劇 「34 八騎人(ハッキジン)再生」
★さて、崩壊寸前の時助けてくれたのが「発見の会」にいた牧口 元美さんでした。「発見の会」はいわばアングラの走りのような劇団だった。
★まだ牧口さんと会うずっと前、信濃町の千日谷会館でやった今野 勉作・瓜生良介演出の「ゴキブリの殺し方」は数ある舞台の中でも忘れられない衝撃の舞台だった。
★そこの中心役者である牧口さんが「せっかく頑張ってやってきた八騎人を潰すのはもったいない」と言って、発見の会の後輩の役者を4人程引っ張って来てくれて、公演をやることになった。
★最初は中野のテレプシコールという小さな小屋で、今まで上演した作品の集大成のような小生の作品のコラージュのような作品を再構築して、打った。そして、初めてこの頃年間計画を立てて、明石スタジオ・下北沢のすずなりでの公演を決めたのである。
★とにかく劇団は公演を打たなければならない、という考え方はこの時の牧口さんからの影響も大きかったが、以後劇団をやっていくうえでの大きな指針になっていった。
★鈴なりはまだ本多劇場の出来る前で、後に下北沢を演劇の町になる前で、本多さんが熱くその構想を語り、本多劇場等はその構想を実現しつつある時期でもあった。
★はっきりとした年代の整理がついていないので、後で正確な年代を入れ替えるが、その年中野で「ディトリッパー」という芝居を打ち、明石スタジオでは「吾が魂の八犬伝」を打ち、翌年の春鈴なりで、4劇団饗宴という形の中で「命短し恋せよ乙女」を打った。
★「吾が魂の八犬伝」は先の戦時中、ドサ周りの一座が起死回生をかけて「八犬伝」を演目として、日本列島を流れ、しまいには詐欺師に騙され満州の黒竜江の近くまでさすらい。日中戦争と共に解体して行くという作品だった。
★この芝居の中には去っていく劇団員を描いたりして、その頃の劇団との思いなども芝居に込められている。
★この芝居は、昨年も劇団ギルドで再演したが、劇中劇を演じつつ、ドサ一座の芝居が進行していくというスタイルで、後にこういう形式の芝居を何作か書くようになる。
★「命短し恋せよ乙女」は宮本研の「美しきものの伝説」とほぼ同じ登場人物で、その時代を描きながら、俺ならこう書くと挑戦した作品だ。
★こうして、牧口 元美さん率いる発見の会の力添えがあり、八騎人は完全に形も変えて復活を果たしたのである。
★思えば、この時期が小生の演劇作品にとっても大きなターニングポイントではなかったかと思う。
★続きは次回。本日最高気温が20度に達し、途中雨は降ったが、やっと春めいてきて、桜が一気に咲いてきた。
★桜は気温にそうとう影響されるという事を改めて知った。昨日から今日の咲き方の急激さは近年としては珍しい。
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
スポンサーサイト
theme : 伝えたいこと・残しておきたいこと
genre : 日記