私と演劇32

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の稽古風景です。
★私と演劇 「32 赤字を背負って」
★さて、三百人劇場での「泣け昭和、魂の涙きらめかせて」は好評のうちに終ったものの、大変な赤字になりました。
★この赤字を劇団員で頭割りして返却していくのに2年程かかりました。
★その間八騎人は公演休止状態を取らざるを得ませんでした。
★私はというと、ラジオドラマの主に脚色の仕事が結構入って来るようになりました。
★さねとう あきらさんの原作の「石器人戦争」はたしか誰かの代打という感じで、1週間で書き上げた記憶があります。当時は万年筆(後に2Bの鉛筆)で原稿用紙に書いていたためにその仕事が終わった途端右手が腱鞘炎になり、手首がぷっくりと膨れてひどいことになりました。
★しかし、これは確か読売児童文学賞をさねとうさんが受賞された作品の脚色で、素晴らしい作品でした。後にブレイクする内藤 剛さんが出演されていました。
★これは絶対児童劇にしたら古典となるようなすぐれた作品だと今でも思っています。腱鞘炎は私にとって勲章のようなものでした。
★その他、片岡義男さんの原作の短編集のオムニバスで「美人物語」を脚色しました。氾 文雀さん岡本富士太さんが出演したしゃれた都会風ドラマで、八騎人の女優麻倉淳子もその中の1話に出演していました。
★氾 文雀さんは後に「摩天楼の身代金」という作品にも森本レオさんと出演し、更に後の映画の仕事でもご一緒するのですが、素晴らしい女優さんでした。
★本当に惜しい方を早く亡くしたと思います。亡くなった後、映画や舞台やラジオでも素晴らしい演技をしていたのに、サインはVに出ていた女優というような書かれ方をしていて、マスコミの知名度による経歴の書き方は無念だったと思います。
★サインはVから始まったとしても、亡くなる頃には日本でも有数の女優になっていました。そのことをちゃんと評価してほしかったと思います。
★岡本富士太さんとは後にテレビの「中学生日記」でお世話になります。
★ラジオは二人の部屋とか青春アドベンチャー等が始まり、比較的連続で5回~10回場合によっては15回の脚色の仕事をやるようになりました。
★オリジナルと脚色は勿論色々と書き方や、苦労のしどころで違うのですが、どちらも好きでした。特に脚色を何本もやることによって、シナリオを書くという事での大変な勉強になったのです。
★ラジオドラマは芝居に大変近く、自分たちの劇団で書く芝居はお山の大将なので、ラジオは別の勉強になります。
★勿論勉強をしていて、脚本料をもらったのかと言われると何にも云えませんが、ディレクターとの直しを通して、ドラマの書き方がどんどん明確になり、何を書かねばいけないか。何を書いてはいけないのかという事がどんどん明確になってきたような気がしました。
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
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