私と演劇28

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の稽古風景です。
★私と演劇 「28 ラジオドラマそのハードな道」
★さて、デビュー作のラジオドラマ「風に舞う木の葉のように」から半年ぐらい後だと思います。NHKのIさんに呼ばれ、もう一本ラジオドラマを書くことになりました。
★何が書きたいかという事の話になり、色々話をしたのですが、うまくまとまりません。
★そこで、当時モーニングショーが民放各局はやっていて、横並びに何故か蒸発してしまった夫や妻を探すという特集がしきりと放送されていました。
★そこからヒントを得て、「ある男が渋谷の駅前で子供を連れて妻を探している。此れで書いてみろ」という話になりました。
★そこで「私の妻をどうか探してください」と渋谷の駅前で演説する男から書き始めました。やがて夜になり、そこに山手線を歩いて一周している男(今では珍しくありませんが当時そんな事をする酔狂な人間は居ませんでした。皆生活にいっぱいいっぱいで趣味や健康に時間を割くという考え方自体がなかったように思います)や、謎の女が登場するという物語です。
★その決定稿に至るまで、初めの別の話の試行錯誤も含めて、7回程書き直しました。
★大体の構想が決まってからは、一気に2晩くらいで書き上げたのを覚えています。
★ただ、この書き直しの途中は厳しいものでした。「この程度の物しか書けないのなら死ね!死んだ方がましだ」とIさんに怒られ原稿をゴミ箱に投げ捨てられたのです。
★後日笑い話として、Iさんにこの話をすると、「そんな死ね等と俺が言うはずはない」と否定されますが、私にはそのように記憶されています。
★当時疑心案儀だった私は同じNHKでディレクターをしていた早稲田の先輩のWさんに相談し、Iさんとはどんな人なんですか?と疑問を投げかけたぐらいだったのです。
★ただ後でわかったことにはIさんも必死になって私を育てようとしてくれていたのです。
★当時はそんな無名の演劇をやっている者が、ラジオドラマを書く等という風潮も薄い中で、高谷はいい素質を持っているので、私が責任を持って育てると上司に言ってくれたそうです。
★何はともかく、男には当時若手の演技派として売り出し始めた西田敏行さんを主人公の男を演じ、日活ロマンポルノから初めてNHKのラジオドラマに出演した宮下順子さんが謎の女を演じました。
★「赤いパラソル」と題した作品は苦労しただけあって、大変好評でした。
★後に演劇集団円でこれを芝居にしようという事になったのですが、ある特殊な事情でその話は白紙になりました。
★ともかく、このラジオドラマを乗り越えたことによって、なんとか私は書くというという事にささやかな希望を持ったのでありました。
★そういえば、初めてのラジオドラマ「風に舞う木の葉のように」のギャラをいただき、当時36000円くらいだったと思いますが、何か記念になるものを買おうとして、私は筆箱を買おうと思いつきました。
★小学校の頃、筆箱が買えなくて、いつも割れたベークライトの筆箱で我慢していたのを思い出し、書く事でいただいたギャラなので、筆箱ぐらい買ってもいいだろうと思ったのです。
★私の頭の中では筆箱は3万円ぐらいするような高い価値があったのだと思います。文房具屋に行き、たった600円という筆箱の値段を見た時に涙がこぼれるような気になりました。たったこれだけの値段の物が買えなくて、あんなに苦しい思いをしたのかと思ったからです。
★私は黒い、チャックのついた600円の筆箱を押し頂くように買ったのを覚えています。
★そして、多分2回目の作品で新品のシチズンの腕時計を買いました。
★大学に入学の時父が買ってくれたのは中古の腕時計だった(勿論ありがたかったのですが)のを思いだしたからでした。
★続きは次回です。
★本日は古くからの付き合いの府中に住むSさんの家に家人が先に行き、夕方小生も訪れて、晩御飯を一緒に食べ、夜帰ってきました。
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
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