私と演劇27

蛍稽古28

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の稽古風景です。

★私と演劇 「27 ラジオドラマとの出会い」

★さて、「魔都彷徨」-幻の母を訪ねてーの公演は確か12月だったと思います。この頃は今と違って女優さん自体の数が圧倒的に少なく、主役の麻耶を探すのに随分苦労して、2転3転したことを覚えています。

★赤坂国際芸術家センターではその頃、松田優作も自分の劇団で芝居をやっていて、既に映画などで売れていた頃でした。

★この公演か次の公演か忘れましたが、こちらの仕込の日に前の公演で、大量の砂を使ったらしくバラシが間に合わず、
半日仕込の予定が遅れたことがありました。

★これはバラシの予定の立て方が甘かったので、とんでもない責任問題でした。その主宰者が松田優作でした。

★松田は仕込の間に合わない、次の芝居の主宰者の私に深々と頭を下げ謝りに来ました。その誠実な対応が清々しく、こちらの怒りも忘れて、私はなんとなくいい男だと思いました。

★当時の松田優作はマスコミ的には優れた演技者というより、とんでもない、暴れ者というもっぱらの評判だったので、「こいつ、結構ちゃんとしたいい奴じゃないか」と思ったのです。しかしその後彼とは芝居やラジオドラマをすることなく、ただ、その時一点で交差しただけでした。

★さて、年が明けて、NHKにディレクターのIさんに呼ばれました。「何か書いてみたいラジオドラマはないか?」との質問に<私はかねてから小説に仕掛けていてうまく書けなかった、「もう一つの七日間」という物語の事を一生懸命語ったと思います。

★忘れもしません、NHKの当時8階より上の11階か12階にあった喫茶室でした。

★黙って私の話を聞いていたIさんは「じゃあ、それを書いて見なさい」と言いました。

★毎日決まって判を押したようなサラリーマンの生活に飽きた主人公がある日妻との生活から蒸発して、洞窟の中から毎日の決まりきった生活を日記風にテープレコーダーに吹き込んだそのテープだけが発見されるという、いささかSF風な自伝的な物語です。これが私のラジオドラマデビュー作「風に舞う木の葉のように」でした。

★多分その時2,3回の直しを受けただけで、収録されオンエアーされました。小林勝也(偶然な事に彼は同い年で、早稲田の一文の演劇科を卒業した文学座の俳優でした)の主人公にその妻二宮さよ子(文学座)、それに父親役で新人会の井上昭文さんが出演しました。

★放送が決まったとき父親が大変喜びました。借金を重ねて、その言い訳もろくにしていなかった親戚に電話をかけまくって「今度、信之の書いたラジオドラマが放送されるんです」と喋っていいたのを見て、多少なりとも親孝行ができたかなと思いました。

★丁度その放送の前に、毎日新聞に私と佐久間崇等4名の写真入りで、最近若手の劇作家がラジオドラマを書きはじめたという記事が載ったのです。親戚のおじいさんがなくなり、池上本門寺で政財界のお偉方が弔問に来た時、控室でおばあちゃんから「信之ちゃん、新聞読みましたよ」と言われ、初めて、親戚中のつまはじきだった河原乞食同然の私が認めてもらえたのです。

★そしてラジオドラマを更に書く事となるのですが、2,3回の直しで決して舐めていたのではないのですが、2回目のラジオドラマで大変な事が起こりました。

★この話は次回で。

★本日は国会図書館で脚本アーカイブズのシンポジュームがあり、受付の手伝いなどを新しく劇団員になった長谷川と二人で手伝いました。立ち続けていたので、腰に来ました。

★71歳も終わりそうににもなって立ちっぱなしの受け付けはしんどいことだと思いましたが、これも亡くなった市川森一さんの遺志でもあるので、頑張りました。

★本日これまで。お休みベィビー!また明日。
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プロフィール

G.C(グランド・キャノニオン)

Author:G.C(グランド・キャノニオン)
G.Cことグランド・キャニオン・ビリーブ・ミーこと高貴な谷、つまり 高谷信之のこれはブログです。

G.C(ジードットシー)はラジオドラマ80本書き、映画、テレビのシナリオを手掛ける。
また劇団ギルドの代表でもあり、劇団の運営、限りない創造に賭けており、また放送作家協会の理事でもある。
他にシナリオの書き方講師等もしている。

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