私と演劇23

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の稽古風景です。
★私と演劇 「23 養成所時代 1」
★何かやるのなら芝居しかない。それは亡くなったK君の分も生きようという決意のもと、29歳の私は芝居の仲間を探すべく養成所を2つ受けました。
★1つは、劇団青俳、木村 功と織本 順吉さんが率いている劇団で後に蜷川幸雄さんや石橋蓮司さん蟹江敬三さんを生み出した劇団で、もう一つは本多 延三郎さんという映画畑のプロデューサーをやっていた方が主宰する五月舎という集団です。
★当時の募集年齢は18歳くらいから25歳まででした。そこに29歳の私は25歳と偽って応募したのです。
★幸か不幸か私は両方の養成所に受かりました。ただ五月舎の方は募集要項として、劇団養成所を卒業乃至はそれと同等の力のある者という条件がありました。
★迷った末、五月舎を選びました。もしもはタブーですが、青俳に入っていたら、蜷川さんや現代人劇場等に関わっていたかもしれません。が、それは分かりません。
★五月舎は文学座の演出家木村光一さんと、俳小の気鋭の演出家早野寿郎さんが2チームの座組みをして、前期と後期2つずつの公演を生徒に実体験させ芝居をつくるという基本方針の処でした。
★勿論基礎講座として、発声や苦手なジャズダンスの講座もありましたが、芝居を造っていくという体験は素晴らしい俳優養成方法でした。
★木村組は美しきものの伝説・早野組はギリシャ悲劇の「女の平和」をそれぞれ俳優座劇場で上演するという贅沢な授業でした。
★入った日本青年館での入所式の日、私の年齢詐称は休憩時間のトイレでもうバレてしまったのです。
★というのは当時25歳だった早稲田の2文の演劇科卒業生が中に居て、小便をしながら、担任の先生の話などをしていたら、どうもかみ合わず、すぐ私が相当年上だという事がばれてしまったのです。
★不思議な事にその40名程のクラスにもう1名、わたしと同年29歳の男が居ました。M君です。
★M君の年齢を見破ったのは私です。
★当時ジーパンやズボンはパンタロンの全盛で、ほとんどの若者がパンタロン風のGパンを履いていたのですが、M君は一人、60年代風のイタリアンカットの先のとがったブーツを履き、一人これまた60年代風のマンボズボンのように裾の細くなったGパンを履いていたからです。
★後にM君とは劇団を組み、彼は役者と制作で素晴らしい活躍をするのですが、この時は「俺と同じに年をごまかしている奴がいる。しかも服の偽装も出来ずに、こいつバカなんじゃないの?」と私は思ったものです。
★私はとにかく、人の倍やろうと思っていたので、木村組と早野組両方の授業に出ました。そして前期の公演「美しきものの伝説」では、オーディションで競り負けて、尾行という本当の端役を演じ、女の平和でも衛兵のセリフのほとんどない役をやりました。
★競り負けた相手がコマ劇場でダンサーをやっていたK君という男でした。K君にもその後大変お世話になり、今も時々ワークショップの講師をやってもらったりしています。
★いずれにしろこの養成所から再スタートが私の芝居の命運を変えていくのですが、その話はまた次回。
★さて、本日は「蛍よ~」で出演していただいた牧瀬 茜さんのパフオーマンスを明大前のキッドアイラックホールに(これは新装なっていましたが懐かしい会場です)観に行き、10数年ぶりに今回の主宰者である万城目純さんにも会いました。
★「エンターレランス・入口多数」というパフォーマンスで、万城目さんは相変わらず研ぎ澄まされてビュアーな深い世界を表現されていて、詩と踊りと音楽が実にいい感じで融合していて素晴らしい時間と空間をいただきました。
★牧瀬さんの素晴らしいことはこの上ないものでした。
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
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