私と演劇19

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の演出風景です。
★さて、都合3年程やった有楽町読売ホールでのバイトです。読売ホールは当時そごうというデパートの8階に有ったので、夕方になるとデパートは閉店になり、5基程あったエレベーターをエレベーターガールから引き継いで運転するわけです。
★5人で1基ずつ運転するのですが、(当時のエレベーターは自動ではなく、ハンドル操作だったので、必ず運転する人間が乗っていました)読売ホールは劇場なので、お客が入る時と帰る時にエレベーターは一斉に動き、それ以外の時はたまに気分が悪くなったり、急用で芝居やイベントの途中で降りる人、また遅れてくる人などの為に1基稼働していればよいのでした。
★すると公演の途中は4人は休みという事になります。その間本を読んだり雑談したりするのですが、芝居やイベント好きの私は休みの間、2階席の邪魔にならない処で、芝居などをずっと見ていました。
★当時は30日間の公演などがほゞ中心だったので、例えば「民芸」の芝居があれば、30日同じ芝居をずっと見ているのです。
★例えばあの伝説の滝沢 修等の芝居は30回椅子を片手で振り上げるシーンがあるとすると、30回精密機械のように微動もせず毎回繰り返すのです。それに比べて清水 将夫や細川ちか子等はその日その日によってコンディションが違い、時に芝居をとちったり毎回演技が違うのです。
★確かに目の当たりに観た芝居の神様と言われる滝沢 修はすさまじい演技でしたが、何故か人間味が感じられず、それほど感動しなかったのを覚えています。
★よみうりホールでは東宝現代劇から新国劇、新劇の色々な劇団や時にはイギリスやフランスから来た演出家の通訳を介した舞台稽古まで何回も同じものを見ることが出来ました。
★この同じ芝居を何回も観るという稀有な体験が、後に芝居を書いたり、演出したりするようになり、どれだけ役に立ったかわかりません。
★印象に残った舞台は数々ありますが、新国劇の「人生劇場」では、本当に楷書の硬く渋い芝居をする島田省吾と
辰巳柳太郎のぬえのように柔らかな何とも言えない芸風が同じ劇団で共存していたのをまるで奇跡を覗くように見ていたのを昨日のように思い出します。
★若き日の現在の吉衛門や幸四郎の対照的な芝居も印象に残っています。
★好きこそものの上手なれと言いますが、上手かどうかはともかく、30回同じ芝居を好きで見続けるという体験が後々本当に役に立ったのです。
★さて、早稲田祭に参加した芝居で、ある時ジャン・コクトーのオィディプス王を劇団「こだま」でやったことがあります。
★どう間違ったのか、その時無謀にも私は主役のオイディプス王を演じたのですが、見事に失敗しました。
★ひょろひょろの体格(167センチ47.5キロ)でしかも独特の高いしわがれた声で、主役が出来るわけもありません。発声法もろくに出来ていなかったので、本番では声まで枯らしてしまいました。
★ただ、大隈講堂でやったこの舞台では鈴木忠志が、何の拍子かコロスの長の役で、モノローグで色々と芝居の進行を説明する役を引き受けたのです。
★おそらく、役者だけで存在した鈴木忠志は後にも先にもこれだけだったと思います。演出はこれも亡くなってしまったのですが、後にNHKへ就職したWさんが担当し、Wさんは生前天下の鈴木忠志を演出したのは俺だけだと随分自慢していましたが、芝居はともかく、小生のオィディプス王は惨敗に終わったのでした。
★本日これまで。お休みベィビー!また明日。
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