私と演劇14

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」での演出風景です。
★私と演劇 「10 80人の部員」
★さて早稲田の4年になりと言っても実質改めて再入学したので3年なのですが、激戦のレパートリー選出をチェホフの「桜の園」を押すメンバーに僅差で勝って、わたしはサルトルの「汚れた手」を演出することになりました。
★この時は正式には鈴木忠志の主宰する新劇団自由舞台のメンバーだったので、おそるおそる鈴木忠志に劇団こだまで演出をやらせてもらえないだろうかと相談した。彼は「高谷君が色々やって大きくなって戻ってくればいいのだから」と快くしばしの休みをくれた。
★その頃レパートリーの争奪戦も劇団員の選挙で決まるので、まるでどこかの市議会議員の選挙のように激しく票の取り合いをしたり、こちらに票を入れると約束した者が裏切って、あちらに票を入れたりと大変な学生らしからぬ状態が繰り広げられていた。
★しかもお手伝いに頼んだ実践女子大学の生徒も入れて、全部で劇団こだまは80名近くの部員が居たのである。
★公演は公演3役がほとんどすべてを取り仕切っていく構造になっていた。チェホフ側であった例の制作力の有るA君を制作にして、舞台監督は後輩の後に映画監督となるHに頼んだ。
★サルトルは当時膨大な実存主義の本を出していた。学生演劇の悪いところはテーマ主義でこの「汚れた手」に限らず公演の稽古中に3回程のテーマ討論会という会合がある。
★演出はそこで劇団員からのあらゆるサルトルの質問に答え、この劇がどういうテーマで上演されなければならないかを説得しなければならなかった。
★サルトルをそれほど勉強していた訳ではなかったので、私は本当に焦った。特にチェホフで敗れた側の部員は、サルトルの本の色々なところを引用し、「この本のここで、サルトルはこう言っているが、それに対して、演出はどう考えるか」等と迫ってくる。
★まるでちょっとした国会の予算委員会のようである。それらをかいくぐり、デモか稽古かという二択の嵐の中で、「料金を取って芝居をやる以上、デモよりも今は稽古だろう。作品を舞台化して、われわれは何かを主張していかねばならない」等との議論に明け暮れた。
★キャスティングも演出に一応の権限があるが、外野からのプレッシャーは半端ではない。こっちが票読みして明らかにチェホフに1票入れた者が「よかったねー、俺も一票入れたんだよ」等と嘘を言っていい役を取りたいためにすり寄ってくる。
★これらの稽古の過程で私はほとんど後の人生につながる、人間の醜さや、調子の良さ、裏切りというものを学んだ。
★主役は後に有名なニュースキャスターになるKを抜擢した。反対は多かったが、彼の持つノンポリなぼんぼん風の処が主人公にぴったりだったからである。
★こうして、なんとか6月の舞台が幕を開けた。切符は売れ、大隈講堂は満員だった。本番中にセットの階段が突如崩れ落ちたという失態があったが、なんとか公演は成功裏に終わった。
★あんなに隆盛を誇っていた自由舞台は鈴木忠志という天才が抜けたことによって、テネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」という4人しか出演しない芝居をやるのが精いっぱいだった。劇研も陥没していた。
★ある意味で、{「こだま」に革命を!}と1年の時願っていた夢は達成したかに見えたしかし・・・・公演が終わった後に様々なつけが襲い掛かったのである。
★本日これまで。おやすみベィビーまた明日。
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