私と演劇番外編1

★写真は、「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の演出風景です。
★さて、本日は大学1年~2年の春休みに行った早稲田の第二文学部演劇科の地方公演についてお話しします。
★春休みを利用して同級生の関口さんの親せきのいる長野県の妻籠へ芝居を一本持って行くことになりました。
★演目はプリーストーリーの「夜の来訪者」という割合有名な作品でした。
★小生は装置プランと大道具のチーフを引き受け、演出助手も買って出ました。
★公演の2週間前、長野県の妻籠に先乗りして、装置のパネルを造りました。
★山の材木屋さんから木を切ってもらい、買ってきてパネルを造りました。
★真新しい小割や垂木でパネルを約一週間でつくり、勇んで帰ってきたものでした。
★ところが、5日程前に妻籠に全員で入ると、なんとパネルが皆反ってしまっていたのです。
★なぜなら、生木に近い新鮮な木材を買ってきて、造ったために木が水を含んでいて、日をおいて木が乾いて来て全部反ってしまったのです。
★さあ、それからが大変でした。装置は全部作り直しです。徹夜に徹夜を重ね新しく木を切り、叩き作り直すのです。
★皆バテテしまい、中には釘を片手で持ち、トンカチをふりあげ正に釘を打ちつけながらそのまま眠ってしまうという始末です。
★チーフとしては何とか間に合わせなければなりません。怒鳴りつけ励ましてなんとか装置が出来上がりました。
★ところが役者を兼ねていた大道具の者は疲弊してしまい、体力を使い果たしてしまったのです。
★本番当日セットをやっと建込み、足を少しすりむいて、女の子に包帯を巻いてもらい控室でほっとしていた処に舞監をやっていたOが飛んできました。「おい高谷、刑事の役をやってくれ!」「刑事?」何を言っているのかわかりません。だって刑事は主役で1時間半の芝居で出ずっぱりの役なのです。
★「何を言ってるんだ!」「刑事役のTが倒れたんだ」「何?」「大腸カタルだ!」
★それはとんでもない事でした。小生は刑事の役は演出助手だったので、主役のTがなんかの都合で稽古を休んだ時に代役で2度ほど台本を手に持って稽古をしただけだったのです。
★不幸中の幸いという事がありました。役が刑事で、幸せな家庭の父と母息子と娘のいる四人家族の家にやってきて、一人の女が死んで、その犯人かもしれない4人を追及して、炙り出すという芝居だったのです。
★私は警察手帳の代わりに台本を黒い表紙の紙ばさみで挟み、尋問しながら、なにやら書き込むふりをして、次のセリフを読み、「成程、その時あなたはあの場所にはいなかったのですね」等と喋っていくことが出来たのです。
★もしこの芝居以外でしたら、ぶっつけ本番で、主役をやるなどということは出来なかったでしょう。
★その時私は初めて、脂汗というものが脇の下から滴り落ちるという体験をしました。
★芝居が終わって、主役が倒れたことと代役だったという事をお客様にわびました。
★でも、誰一人私が今日初めて、セリフをしゃべったとは思っていなくて、大拍手をいただきました。
★そして、その日は別の公民館に移動して、夜の公演をやることになっていました。
★するとどうでしょう。火事場の馬鹿力とはよく言ったもので、私に奇跡が起こったのです。
★夜の公演では、本当にセリフ覚えの悪かった(私には、セリフ覚えが悪すぎて役者を諦めたという説もあります)この私がほとんど3分の2程のセリフが頭の中に入っていたのです。
★夜の公演は、時々台本から目を離しながら、堂々と刑事の役を演じることが出来ました。
★この時の公演は主役のT君を含めて大道具を叩いた仲間3人が大腸カタルで倒れたのでした。
★しかし、この公演は奇跡のように無事勤め上げ、地元の青年団(といってもほとんどが中年が老年の方でしたが)の方の大絶賛の打ち上げで、したたかに酒を飲んだのを覚えています。
★その時は酒のあまり強くない小生が最後まで、もう一人のF君と強い地元の人と酌み交わしたのを覚えています。
★体重こそ、47.5キロでしたが、マラソンランナーの如くタフで、当時痩せてはいても誰にも体力では負けていませんでした。
★まだ私が二十歳になる前の年のことです。
★本日これまで。お休みベィビー!また明日。
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