私と演劇10

蛍演出光景5

★写真は「蛍よ妖しの海を翔べ」の演出風景です。

★私と演劇「10 初めての演出」

★さて、色々あって、大学3年の春田中千加夫作の「マリアの首」という3幕の大作を演出することになりました。

★当時のレパートリーの決め方は、何本かの脚本(既成の)をそれぞれの推薦者が推薦し、最終的に劇団員全員の投票で多数を占めた物が次期公演のレパートリーになり、そのレバートリーを推薦していたものが演出をやるというシステムが、先輩から受け継がれていました。

★たとえ一票でも決選投票で上回れば、それを押していた者は演出になれるのでした。

★たしか1票ぐらいの票差で小生は「マリアの首」を6月に、大隈講堂で上演することになったのです。

★それは幸運なことだったかもしれませんが、当時早生まれの小生は20歳。勿論演出などやったこともなく、実に無謀な事でもありました。

★当時の日記に「田中千加夫というとてつもない大人が目の前に立ちふさがり、俺は何もできない」と書いてあります。

★とにかく手さぐりで演出をするのですが、何をどう演出したらいいのか見当もつかないありさまでした。

★劇中3回程まったくの詩がセリフとして現れたりするので、ちょうどパンフレットやチラシの印刷を頼んでいた印刷所の安田さんという方がタンゴのギターの名手だったことがわかり、その方に下手舞台に座って、ずっと出てもらい、時々生でひいていただく事を考えました。

★いろいろ波乱もありました。主役をやっていたIさんが、急性の盲腸炎になり手術をしなければならなくなって、公演の20日くらい前に降板せざるを得なくなりました。

★あわてて、演出女子をしていたTさんを代わりに立てて、必死の稽古という事になりました。

★当日は当時理工学部に所属していて、後に丸紅飯田から最後はアメリカのシリコンバレーの会社にひきぬかれるという逸材のA君が制作をやってくれて、これが凄腕で、お客はオーバーでなく、スクールバスが大隈講堂の傍に着くたびにドンドン溢れてやってくるほどでした。

★これには一つの仕掛けがあり、制作で考え出した、「チケット立ち売りの日」というのが功を奏したのです。

★その頃1960年代の初めは道路でチラシを蒔くとか、人を勧誘するなどという事がまだなかったのです。そんな折、新宿の文化服装学院や目黒の杉野ドレメの下校時に待ち構えていて、駅に向かう女の子達を捕まえて、チケットを立ち売りするのです。

★小生はそういう事が下手で、しどろもどろで、女の子をチラシを持って立ち止まらせるという事さえできなかったのですが、後にアナウンサーになったO君等は1日に80枚もチケットを売ったものです。当時確かチケットは150円くらいだったと思います。

★そしてこの公演は嬉しいことに原作者の田中千加夫さんが観に来てくださったという事です。

★ロビーで休憩時間に先生を見つけあわてて、コカコーラを買ってきて、瓶ごと「どうぞ」と差し出したまま、一言も口のきけなかった小生でした。

★あの時田中さんは何と思ったのかという事だけが気になったまま、残りました。「学生のやる事だからしょうがない」と思われたのか、それとも新人会で上演したあの名作を「こんな駄作にしてしまって!」とお怒りになったのか?今では知る由もありません。ただ、差し出したコーラを飲んでいただけたのがせめてもの救いでした。

★とにかく土日で、3回か4回の公演でしたが、大隈講堂にセットを組んで生演奏も入れて、3時間余の3幕の舞台はとにかく終わったのでした。小生二十歳の夏6月でした。

★さて、本日はテレビ朝日アスクの3回めの授業終わって、6人程の生徒と六本木のサイゼリヤでしばし歓談をして、ものすごく混んだ金曜の電車に乗って帰ってきました。

★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
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G.C(グランド・キャノニオン)

Author:G.C(グランド・キャノニオン)
G.Cことグランド・キャニオン・ビリーブ・ミーこと高貴な谷、つまり 高谷信之のこれはブログです。

G.C(ジードットシー)はラジオドラマ80本書き、映画、テレビのシナリオを手掛ける。
また劇団ギルドの代表でもあり、劇団の運営、限りない創造に賭けており、また放送作家協会の理事でもある。
他にシナリオの書き方講師等もしている。

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