私と演劇9

★写真は「蛍よ・・・妖しの海を翔べ」の演出光景です。
★私と演劇「9 信長とお市の方」
★たしか大学2年になった頃だったと思う。朝早くから電通PRセンターという処で新聞切抜きのバイトをして、夜は新橋演舞場の合同公演「信長とお市の方」に出演し、帰りは夜中過ぎで、へとへとになりすぎて、いきなり失語症のような状態になってしまった。
★何とかしなければと、舞台は役があるので、やめられず、電通PRセンターを止めて、舞台に専念した。
★役と言っても、エキストラで、一人何役も、信長の家来とか明智光秀がたの家来とかを衣裳をとっかえひっかえやらなければならない。
★出演は先代の市川団十郎と先代の水谷八重子。演出は俳優座の第演出家千田 是也さんである。
★当時商業演劇は新作も月末の28日頃まで別の演目をやっていて、新作の稽古は3日とか4日徹夜でやって、1日に幕をあけるという過酷な状態でやっていた。
★驚いたのは水谷八重子さんで、3日も間が空いてないのに、セリフは完璧に入っていた。それに反して団十郎さんは、芝居が始まって20日程はセリフが入らず、黒子のプロンプターがしゃべってからそれを聞いてセリフを言うので、間は抜けるはテンポは出ないわで、初日と楽では全体にかかる芝居の時間が大げさでなく、40分くらい違ったものである。
★舞台稽古の時塀の前に立つ槍をもった衛兵をやっていて、客席から千田さんが舞台に上がってきて、槍を持って実際に踏ん張って立って見せ、「こういう風に立ちなさい」と駄目を出された。
★軸はブレ身長167センチ体重47.5キロのガリガリの小生、一生懸命千田さんのまねをして立っても、どうにも形にならなかったのを覚えている。
★本能寺の立ち廻りの本番で力任せに竹光の刀を振り回し、刀が折れてしまい、代わりの刀を小道具の係りにたのむと「団十郎にわたす刀はあってもお前らに渡す刀はない!」と怒鳴られて、支配人室に学生数人で抗議に行き「代わりの刀がもらえないなら出ない!」と騒いで、新橋演舞場始まって以来のストライキだと有名になったのも懐かしい思い出である。
★さて、2年になり、授業には出ず、やがて6月劇団こだまでロマン・ローランの「愛と死の戯れ」という芝居をやった。しかしこの頃父が失業し、妹が上京して4畳半のアパートにいることになったので、小生にすべての生活費がのしかかった。
★芝居どころではなく、目黒の結婚式場雅叙園で長い廊下を下げおろしのバイトをやった。
★夕方、バイトの終り際に1階と地下の中間にエレベーターを止め、お客の残したビールを飲み(すぐ顔に出るので、)日当600円をもらって赤い顔をして目黒の権之助坂を登って上石神井に帰り、父に200円妹に200円小生200円と分けて、「芝居がやれたらなー」と随分悔しい思いをした。
★結局芝居にも何とか参加は出来たけれど、効果のオペレーターとしての参加が精いっぱいだった。
★金がなければ芝居は出来ない。この時痛切に思った。
★こうして本番が来るのだけれど、その効果のオペレーターの驚くべき音出しの仕方はまた次回に。
★本日は上石神井で昨日に引き続き、今回の公演の反省会を劇団員だけでやりました。
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
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