唐組の芝居を鬼子母神で観る

★写真は雑司ヶ谷、鬼子母神の唐組のテントです。
★さて、本日は、雑司ケ谷の鬼子母神境内で行われた、唐組の芝居「紙芝居の絵の街で」を観に行ってきました。
★元吾が劇団ギルドに居て、現在唐組で既に10年経つという岡田悟一に誘われたためです。
★久しぶりに観た唐芝居は懐かしくも強烈な印象と感動を与えてくれました。
★何しろ41、2年前、上野不忍の池で見た状況劇場の「二都物語」が唐芝居との出会いで、小生打ちのめされたのを覚えています。
★爾来、当時多分に唐さんの芝居の影響を受けた芝居を書き続け、中々そこから脱却できなかったのを覚えています。
★言ってみれば私の最初の演劇の師は演出的には(スペクタクル芝居をやっていた頃の)鈴木忠志であり、戯曲の師は唐十郎でした。(勿論これは勝手に相手にお構いなしに小生が思い込んだだけです)
★そんな状況劇場の芝居が、やがて失速し、李 礼仙が止めてから殊更つまらなく見えて、次第に遠ざかっていました。
★それから、本当に何十年ぶりかに唐ワールドを再び観ることになったのです。
★初め不安がありました。もしかしたら、又失望するのではないか・・・・と
★でもその不安は見事に裏切られました。
★小生久しぶりに芝居の中で「懐かしい」という感傷の極みである感情の海を泳ぐことが出来たからです。
★聞けばこの作品は8年前の舞台の再演という事で、唐さんは出ていませんでしたが、程よく年を取った中年の俳優陣がよく唐の言葉のからくりを各々の躯の中で、回転させ、濾過させて、猥雑なしかし美的な世界を作り上げていました。
★どうしても他人の芝居を観る時はあら捜し的に客観的に芝居を観てしまう、悪い癖があるのですが、今回は本当に久しぶりに一観客として芝居に浸ることが出来ました。
★あの路地裏の広場に夕方になるとやってくる紙芝居屋を正にリアルに体験した、テレビ以前の子供だった私たちの世界が、若い人によって、新たな酒のように醸造され出てきたのです。
★紙芝居をリアルタイムで見た子供と、そうでない子供だった人がみるとこの芝居は随分と違ってくると思います。
★そういう意味では、65歳以上の人間に向けて造り上げている世界なのかもしれません。
★いずれにしろ、「懐かしい」という感情を自分の体験や自分の過去以外から復元して、加工してくれる演劇はそうそうあるものではありません。
★もしかしたら、「懐かしい」というたった一つの感情を探すために、人は永遠の未来に旅だっているのかもしれません。
★ただ照明のけれんさが若干過剰になりすぎていて、かえって入り込みかけた感情を異化させているように思えたのが、ちょっと残念でした。
★いや、そんな些細な事はどうでもよく、本当に素晴らしい時間を過ごさせていただきました。
★終わって、小屋と言うか、しっかりした建物の中で酒盛りにも参加させてもらいました。
★唐さんがいらっしゃらなかったことが何とも残念でしたが、気持ち良い一時を過ごさせていただきました。
★岡田悟一もしたたかな、実に芯のある役者に変貌していて頼もしい限りでした。
★岡田に送られて鬼子母神をでると、細かい雨が降っていました。
★近頃、まるで先祖返りしたように別役実さんの芝居や、唐十郎さんの芝居を偶然観に行く羽目になりました。
★これでは又、近々東京でやる鈴木忠志の芝居も観に行かねばならないかなと思いつつ、雨の中を池袋まで歩いてきたことです。
★いやいや、人の芝居より手前の芝居。その事が今一番の気がかりであります。
★第一号のチラシが出来ました。
★明日載っけます。本日これまで。
★お休みベイビー!また明日。
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