あゝ甲子園~静岡高校

★写真は夏の雲です。
★さて、本日は吾が母校静岡高校が、甲子園で石川県の星陵高校と対戦しました。
★星陵は予選の県大会決勝で球史に残る、小松大谷高校と9回裏8対0を逆転サヨナラ勝ちして甲子園にやってきています。
★こんなマスメディア的今一番旬の有名校と第一回線で当たった静岡高校の不運。
★思えば今から54年前の夏、吾が静岡高校は1回戦からあれよあれよと勝ち上がり、決勝戦まで行き、法政二校と決勝まで行ったのでした。
★静高3年の小生たちはほんの1回戦のつもりで応援に行ったのだけれど、思いもかけず次々に勝ち上ったので、途中で帰るわけにもいかず、(当時は新幹線も東名高速もない時代で)公民館のようなところにごろ寝をして泊り込み、連日応援し続けたのでした。
★受験勉強もそっちのけで、カチ氷をスタンドで口に含んで応援したのは覚えています。あのころはコンビニもインスタントラーメンもない時代だったので、何を毎日食べたのか忘れてしまったけれど、よくお金が決勝まで勝ち抜く中続いたと思うと不思議です。
★ともかく、優勝戦は後に巨人に行く柴田勲がピッチャーで、たしか1対0で負けたように記憶しています。
★負けた後の帰りの汽車の中では全ての気力を失くし、仲のいい岡谷君と泥のように眠りながら帰ったのを覚えています。
★勿論喉は叫びすぎて声もかれていました。
★この時ほど人は体力ではなく、気力によって肉体をささえているのだという実感を感じたことはありませんでした。
★この時ショートを守っていた同級生の石山健一君は、その後早稲田の野球部からアマチュア野球の日本石油、、プリンスホテルの監督等を経て、長嶋ジャイアンツの2軍ディレクターに、アマチュア野球から初めてプロのスタッフになりました。
★高校時代からの放課後が年をとってもそのまま続いているのは野球部の石山と演劇部の高谷だけです。
★しかし野球部の石山は夏近くなると様々な高校に教えに行って(長崎の高校生に演劇を教えに行っているところは同じですが)コーチをしたり、時々講演会(これも小生は時々やりますが)して結構稼いでいますが、演劇部の高谷は未だに劇団で自力公演をしては赤字を出しています。
★ここが決定的な違いではありますが、何にせよ、お互いに高校の放課後が57年もまだ続いていることは奇跡のような幸せであります。
★それはともかく、静岡高校残念ながら、緊張しすぎた所為かエラーがかさなり、5対4の1点差で初戦負けてしまいました。
★残念です。でもいい夢を何年振りかに見せてくれてありがとう。
★懸命に泣きながら甲子園の土をビニール袋に入れていたけれど、後輩諸君勝負事は負けてもいいんだ。胸を張って静岡に帰ってほしいと思うのです。
★人生は勝ち負けじゃないんだ。どれだけ己の信じた道を歩き続けられるかなんだと、ここまで来て思うのです。
★そんなわけで、何とも清々しい思いをもらいました。
★本日これまで。おやすみ^ベイビー!また明日。
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