65年が過ぎて

★写真は近所の五分咲きの桜です。あいにくの雨でした。
★なにしろ、戦時中の慶応病院で3月26日の0時40分頃に生まれて、65年が過ぎたわけである。
★計算式では、もうとっくに、俺は 青山墓地にある高谷家の墓に入っているはずだった。
★むかし、20年以上いやもっと前か、新聞に寿命の計算式というものが載っていた。
★その式は64歳で亡くなった父の年齢を入れ、自分の年齢を掛けたり、特定の数字で割ったりして出すのだが、小生の寿命は実は65歳と出た。
★これは、占いではないので、かなり根拠があるように思えた。
★ずっと先の事だと思っていたが、60歳を越してから、後4年あと3年となんとなく気になって来ていた。
★だから、なんとなく、65歳を過ぎた自分のイメージが自分で掴めなかった。恐れても居た。
★なのに今日、ついに66歳に突入してしまった。
★父の生きなかった65歳という年も、あっという間に過ぎてしまい、当時65歳になれば、医療費が半額になると楽しみにしていた父が、残念ながら65歳寸前で亡くなったのはさぞ無念だったろうと思う。
★20以上の職業を転々とした父には一切の年金は無く、父の生前小生が、市役所に行き、「今までの掛け金を全額払うから、年金は下りないのか」とかけあったら、「残念ながら今そういう救済制度がありません」と言われた時の悔しさはここには、書き表せないほどだ。
★ただで、年金をくれと言っているのではないのだ。掛け金を纏めて払うから何とかしてくれと言ったのに、この国はなんにもしてくれなかった。
★おそらく、父の世代は戦後の荒波の中で、少数ではあるが、職を転々として、年金を掛けられなかった人は結構居たはずである。
★そういった人間を常に国は少数であるが故に切り捨ててきた。
★そうして国として大きくなった。
★今更不況だと言って、オロオロする様は、そういう観点からみればチャンチャラおかしい。
★話がそれたが、とにかく、65歳で死ぬかもしれないという呪縛から66歳になった今、やっと逃れられたのである。これが昨日書いた感慨という事の実態だ。
★後の人生はおまけだ。おまけならおまけらしく、やりたい事をやりたいようにわがままに生きたいと思うのだが、そううまくはいかない。
★ボランティアとか、放送作家協会の様々なイベント等に時間を取られ、自らの書きたいことを書く時間が中々取れないという、「お人よしもいいかげんにしろ!」と自分に言ってやりたいような、日々を送っている。
★あと3年いや5年の命というものがあるのなら、ほんとうに書きたいことを書き、やりたい芝居を演出したい。
★望むのはそれだけだよベイビー!
★いやいや、もっともっといい女と出逢って、いい恋もしたい。こっちは枯れねえぞ、ベイビー!
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