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道に迷って

富士11

★写真は富士の11。

★井の頭線の久我山で降りた。マツプルで刷りだした地図を頼りに駅を降りて、南に道を直進した。
すると、地図にあるとおり右角にセブンイレブンがあった。

★そこを通り越すと、信号があった。信号の先の左側にその病院はあった。随分小さな病院だなと思った。完全予約制と書いてある。

★まあ、そういう病院もあるかもしれない。自動ドアが開いて、小さなカウンターのある受付らしき所が目の前にあり?「おや?」・・・・・・・・・

★そこは動物病院であった。何故?病院名は同じなのに?

★人に道を聞いて地図を示してわかったが、完全に小生は道を一本間違えて20分以上歩いていた。

★これが小生が踏み迷った、三鷹の牟礼近くの道だ。

三鷹牟礼近く

★さて、それから久我山の駅まで引き返し、正しい道を直進した。嘘のように右手にセブンイレブンがあり、更に進んで、信号を渡ると、こんどは、大きな同じ名前の人間の病院がそこにあった。まったく同じような状況だ。

★その病院に友を見舞った。

★この見舞いは、なんとも悲しい見舞いであった。一昨日のブログに書いたショックな悲しい事とはこの事だった。

★本人から会いに来てくれとのメールがあったのだが、見舞いというにはなんとも希望の見えない見舞いなのだ。

★「頑張れよ」とか「大丈夫だよ」とか「心配するな」等と言えない見舞いなのだ。

★それでも、次々と面会人が狭い個室の病室に来ていて、俺の前に3人若い女の人が居て、30分以上待合室というか、テラスのようなところで待たされた。


病院から見える富士

★そこから撮った富士である。カメラがコンパクトなので、見にくいが、よく見ると、カーテンの左の遠くに富士山が小さく三角の山で見える。

★ようやく順番が来て、病室に入る。思いのほか元気で、驚く。

★10分か15分か、話の途中にも一人急ぎの見舞い客が顔を覗かせ、次が待っているというので、
2つ買ってきた和菓子を一緒に食べようとしたが、彼は食欲が無いらしく、喜んではいたが、結局小生だけ食して、あわただしく見舞いを終わった。

★しかし、帰り道彼の強さに感心した。もし小生が、そのような情況になったら、(つまり自分で後何日しか命が無いと知り、なお友と次々に冷静に会って会話をする)あのような事ができるだろうか?

★絶対に出来ないような気がする。七転八倒して、ノイローゼになってしまうだろうと思えた。

★ただ下腹が原因も分らず痛いという不安だけで、オロオロして、あゝでも無いこうでもないと、考えこんでいるくらいなのだから、とてもああいう風に冷静乃至は冷静を装う事すら出来ないと思う。

★多分彼は生きながらにして、自分の葬式をやろうとしているのか?

★いや、それは考えすぎで、ただ友人に会っておきたいだけなのか?

★わからない。

★こういった悲しい出来事は、これまでに2、3回程あった。

★一回はもう30年も前になるか、京都の芝居の演出家で、東京の芝居を見たいといって、わたしの友に支えられるようにして、上京してきた時に会った。

★もうその時は、頬もこけげっそりとして、本当に痛々しかった。

★しかし、その演出家Aさんは、私の友と一緒にマチネーとソワレの別々の芝居を2つ見て、あわただしく帰って入ったような気がする。いや、一泊して、4っつくらい芝居を見て帰ったようにも思える。

★あの時、東京駅の新幹線のホーム下の階段のところであった様子はわすれられない、光景だった。わたしは瞬間息を呑んだ。あまりにAさんがやつれていたからである。

★その時思ったものである。俺は、自分の最後が分ったら人の芝居を見たいとか見ようとか思うだろうかと、そんな事は絶対にない。自分の芝居を無理やりつくろうとはするも知れないが。

★もう一つはお世話になったNHKのディレクターのMさんで、この時はオタクまでお見舞いに行った。

★もよりの駅まで、Mさんは車で迎えに来てくれて、元気なのに驚いた。

★ご自宅にお邪魔して、奥様を交えてご馳走になり飲んで話していて、「近頃寅さんのビデオを見てるんだよ」と言われ「いいですねー、あれは」とわたしが言った。

★すると、「ほら、渥美清って肺がんで死んだでしょ、俺と同じなんで、最後の頃の2本の様子を見てるんだ」と言われて、私は凍りついた。息を呑み、何も言えなくなった。

★いわゆる二の句が告げないと言う状況だった。それが正月それからたったの3月でMさんは亡くなった。

★Mさんは才能も有り、やさしい素敵な人だったのでなんともつらいものである。

★こんなこともあった。やはり京都で芝居をしている人が後半年の命だと聞いた。たまたまその人が戯曲を書いたが上演できなくなつたというような話だった。

★そこで、当時私が関わっていた劇作家協会の戯曲コンクールがあるので応募を勧めたのだ。

★3ヶ月ほどして、その彼も亡くなったが、なんと、彼の応募作が北九州でやった劇作家大会のコンクールで、最優秀賞を取ったのだった。

★彼の奥様が表彰状を取りに京都から北九州まで来られた。

★勿論本人は入賞の事も知らずに旅立った。でも、これはよかったと思う。

★ほんの少し1000分の一ほどは小生はいい事をしたような気になった。

★けれども、こうしたことや、こうした見舞いはつらい。第一なんと言って、言葉をかけてやらなければならないか分らない。

★結局今日(3月20日)も、おろおろしてなんとも取り留めの無い会話をして、帰ってきてしまった。

★本当に癌に奇跡というものはないのか?

★なんとも、苦しく悲しい一日だった。

★参ったぜベイビー!

★なにがなくとも健康だ、それにすぐる物は他に何も無い。
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プロフィール

G.C(グランド・キャノニオン)

Author:G.C(グランド・キャノニオン)
G.Cことグランド・キャニオン・ビリーブ・ミーこと高貴な谷、つまり 高谷信之のこれはブログです。

G.C(ジードットシー)は1972年からNHKラジオドラマを約80本書き、映画、テレビ中学生日記等主にNHkのシナリオを手掛ける。【ラジオドラマ】「枝の上の白色レクホン」では、芸術祭大賞をとり同じく『天主堂』ではギャラクシー賞優秀賞をとる。
また若者たちと劇団ギルドを1999年に立ち上げ、20年続け、37回公演で2018年秋解散した。70代後半に向かい、演劇のプロジェクト、あくなき、小説・演劇・シナリオの挑戦創造に賭けており、また日本放送作家協会の理事は岩間良樹理事長の時代より20年以上続けた。
他に長崎県諫早図書館・壱岐未来座等のシナリオの書き方、演劇の演出講師、指導等もしている。

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