衣裳製作と公演観劇

★写真は稽古風景です。
★さて、本日は昨夜から事務所兼拙宅へ泊り込んだ衣裳の篁が、熱心に縫物をする中、昼前渋谷から三軒茶屋へ出て世田谷線に乗り、松陰神社前に行きました。
★そこのスタジオARなる劇場へ「はやびとと」いう劇団の松田正隆作の芝居を観に行きました。
★大変達者で自然な演技をする比較的年齢の高い人たちの集団の様で、芝居はそれなりに完成度は高いのですが、どうにも座席の固さが1時間45分の上演時間には耐えられなく、尻の肉の薄い小生は参りました。
★作者と作品の題名は聞いたことがあるので、ネットで調べてみたらこの作品は40回岸田國士戯曲賞を受賞した作品だという。
★しかしこれは喧嘩を売るわけではないが、ちょっと参った。人間の日常の何気ない会話や生活を描きその深淵にある業とか闇とかをさりげなく描く芝居。
★勿論そんな芝居はあっていいのだけれど、そうした当たり前の人間を描く以上、人々の想像をある意味超えた物でなければ、演劇としてはつまらないのではないかと小生は思ってしまう。
★多分恐れずに言えば、この芝居を見に来ている4,50人の人達の中の多くは、もっと残酷な人間関係に悩んだり、もっと過酷な家族の状況に立ち会っているに違いないと思う。
★であれば、あえて、それらしい畳やそれらしいふすまや壁をセットとして作り、観客の持つ闇より薄い、観客が家族間,親戚間、隣の人達で味わうより、薄い物語や薄い葛藤を見せられても満足はしないだろうと思う。
★この芝居が何年に岸田戯曲賞を取ったのか知らないが、多分色々影響を受けて、これに似た家族や家族に係わる物語的芝居がかなり増えてきたのだろうと思う。
★演劇はまず虚構である。虚構であるが上に悪魔性も笑いも、楽しみも、悲しみも現実よりは深く、また大きな幻想を与えなければ意味はないと私は思っている。
★現実より薄められたインスタントスープみたいなものを出されて、「これおいしいですよ、食べたことないでしょう」と進められても「なんだかなー」と思ってしまうのである。
★勿論松田正隆氏の作品はこれ以上の作品があり、ドンドン進化されているとは思うが、セリフのやり取りの旨さの他、私には見るべきものがなかった。
★というより、好みから言えばこういう芝居は私は嫌いだ。
★「お前の本は何ぼのもんじやい!」という声が聞こえてきそうである。
★ただ私は上目線で言っているのでもなんでもなく、こういう芝居はあまり見たくないと思うだけだ。
★かつて、書き上げた脚本をテーブルを挟んで「こういう芝居は私は嫌いです」と当の芝居の発注者の女性から言われたことがある。これには参った。
★この本は駄目ですとか、駄目だから書き直しなさいという事は当然のこととして受けるが、書き上げた本を目の前で感情的に言われてはかなわない。
★それはともかく、良い悪いではなく、「嫌いだ」という芝居はあるものである。
★今一緒に稽古をしているM君と会ったが、次の芝居観劇とかで別れて世田谷線は下高井戸へ出た。
★下高井戸は30年以上前に住んでいたところで、すっかり様子も変わってしまったが、ラーメンを食べて、新宿へ出た。
★最寄りの駅まで帰ってきて、床屋へ寄る。頭などかまっている暇がなく、なんとか散髪をする。
★帰り着くと、衣裳の篁はまだ作業をやっていた。本当に感心する。
★改訂版のチラシの図案を家人とうちあわせている中、終電で衣裳の篁は帰っていった。
★本当にご苦労さん。小劇団はこうした情熱とギリギリの身を削った作業から色々な事が出来ていくのである。
★あと一人。どうしても女優さんが足りない。いい役が空いているのに・・・・
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
スポンサーサイト