人は死して何になる?

★写真は本日3月15日の東の空でした。
★さて、スマホの万歩計は昨日は3271歩だったのに、本日は44歩。本当はもう少し歩いているのだけれど、家から一歩も出なかったのでスマホの移動はほとんどなくてこういう結果になった。
★人は亡くなるとこの国では骨にされ(小生は未だに火葬には反対だ)やがて、その先はタオルとかお茶とか味付けのりになって、葬式に出たその友人とか知り合いの元に香典返しとなって帰ってくる。
★それが何ともやりきれない。親しければ親しい程、切なくやり切れない。
★午後、やらなければならない事はたくさんあるのに、なんとなく連日の疲れが出て、夕方蕎麦を食べる。
★ゆでた蕎麦に味付け海苔を破ってかけて食べる。この海苔は1月になくなった親友Aの香典返しなのだ。
★海苔をいっぱいちぎり、かけてそばを食べると運動好きで、自らの心臓の弱さを鍛えるようにテニスやバトミントンを逆にやりすぎて、亡くなってしまったAの無念さがこみ上げてきて、前を見れば、ベランダ越しに淡くもうほとんど春になったぼんやりとしたビルの屋根や空が見える。
★何ともさみしくなって、もう取り返しのつかないことに更に悔やみが募りながら蕎麦をすする。
★やがて自分は何になるのだろうか、布きんか、石鹸か、それともお茶か・・・・

★そんなことを考えると、やらなければならないこと、やるべきことが山積みなのに今更気づいて焦る。
★焦っても春は確実にやってきている。ベランダから外に出るとかなり寒かったが、明日は確実に17℃くらいになり、ほとんど春だという。
★ボランティアの仕事を終え「天気がいいから出てきたら」と鷺宮から家人の電話があったけれど、何故か本日は1歩も外へ出なかった。
★そんな1日を悔やむ瞬間が来るのだろうか?ボンクラの小生にはとんとわからない。
★本日これだけ。お休みベイビー!また明日。
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