叙事的演劇公演

★写真は新宿西口の光景。
★この頃、3時半頃に寝て9時過ぎにトイレタイムで目が覚めると、その後もう1時間半ほど眠りたいのに、あれあれ考えたりして眠れなくなる。
★仕方なく起きて飯を食べてカウチでウトウトするのだが、どうも睡眠が足らない。
★本日は大分暖かかったので、午後やっと床屋へ行く。寒いと風邪をひきそうに思えるからだ。
★髪はさっぱりして、夕方高円寺へ。
★座・高円寺で「劇場創造アカデミー4期生修了公演」を観に行く。
★エドワード・ボンドというイギリスの劇作家の「戦争戯曲集・三部作」という大作(全部上演すると7時間近くかかるという)の1部と2部で1部はプロの役者の助っ人が出ていて、2部は卒業生を含めた学生が演じていた。
★養成所の公演によくあるようなユニゾンの衣装で、ほとんど小道具以外何もないただの台の上で、簡素に演じられるのはいいが、きわめてフラットな独特の感情をあえて押し殺したような長台詞の朗誦術には驚いた。
、
★演出は佐藤信で、40年ぐらい前に見た彼の演出術が全く変わっていないのにおどろいたのと。
★いつも思うが卒業公演は出来るだけ生徒の個性を出してやって、一般のお客やスカウト(?)に来ている人たちに見せてやるべきなのに、演出の個性だけが前面に出ていて、少しも生徒の個性が伝わってこない。
★例によって例のごとくこういう公演は、演出をする講師の演出的技術の発表会のようになってしまうのはどうかと思う。
★今更、こういう叙事的というか偽ブレヒト的というか古臭い演出をみせられても、あゝ佐藤信は40年も演出は進歩してないんだなと思ってしまうだけだ。
★文化庁から新人教育の助成金なども出ていて、生徒は高い授業料を払って、講師は勿論演劇を教えてはいるのだろうが、ギャラをもらっているはずだ。
★だったら、こうした養成所の公演を自分の芝居の実験の場にせず、それぞれの生徒の個性を出すような演出をしてお披露目をしてやるべきだろうと思ってしまう。
★まず驚くのは、初めに出てきたプロの役者の膝が3人ともまがった歩き方で出てきて、しかも重心は前ではなく後ろ、パンフをみるとこの役者有名らしく、別のところで生徒に教えたりとしているらしい。
★膝を曲げた歩きで重心さえ日常と同じ重心しか取れない役者の教育とは、演出や講師は何を教えているのだろうと思ってしまう。
★後から出てくる生徒も同じである。
★わかりやすく言えば、例えば野球でゴロの球を捕るとき腰をを下して両膝の真ん中でまず球を捕球するという基礎を教えていないのである。
★これで試合に出される選手をお金を払って見せられる観客はたまったものではない。
★こんなことをしているから演劇はヨーロッパやアメリカから依然として100年も遅れ、舐められるのである。
★これでは生徒がかわいそうだと思ってしまう。
★話は違うがPM2.5、数字と流れる地図をTVから発表されるだけだが、日本政府は中国に抗議したり、慰謝料の請求裁判をしているのだろうか?
★小生右翼ではない。むしろ共産党を飛び越した極左に近いと思うが、尖閣列島にせよ、このPM2.5にせよ、政府は何の行動を起こしていないようだが、こういう政府への抗議は誰かしているの?誰もしていない?
★それで4月から消費税が上がる。どうなってるの?
★本日は演劇世界にもリッチとプアーな創造者がいるという事。もちろん小生世界で一番年収が低く、世界一忙しいプァーな演劇人です。
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
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