親友の葬儀

★写真は静岡安倍川から望む富士山
★昨日6日は夜9時過ぎに、くたくたになって静岡から帰京して爆睡したので、ブログが半日遅れました。
★5日夜親友Aの通夜を終え、I君T君と食事をして別れ、I君は新幹線で帰り、T君と小生別々のホテルに泊まったのですがやはり興奮と緊張の為お互い一睡もできませんでした。
★T君は睡眠障害がちな人なのでともかく、小生も睡眠導入剤を飲んだにも関わらず、ほとんど15分くらいトロトロしただけで、横にはなるものの一睡もできなかったのです。
★ふたりで、葬儀に向かう車の中で「Aの奴、俺たちに通夜をさせたかったんだな」と言い合うありさまでした。
★さて、光栄と言おうか、悲しみの極みと言おうか、参列の方々を差し置いて、小生が弔辞を読むことになりました。
★さすがに弔辞は、東京で文章にして、悲しみの中で何度も書き直して来たのですが、どうしても、58年前中学一年からの付き合いで、当時には珍しい小さな進学塾へ小生が誘ったことからの出会いなのですが、2人で遊んだことだけが思い出され、そうした内容ばかりの別れの言葉になりました。
★弔辞を読み始め、途中何度も涙がこぼれそうになりましたが、必死にこらえ、最後は涙ぐみながら終わりました。
★まさか、こんなことになるとは思わず、躯も小生よりずっとつよく、骨太で握手をするとその握力の強さに圧倒され、運動神経も鋭かった健康な男なので。
★葬式があるとすれば(仮にの話)てっきりA君が小生の弔辞を読むことになると当然思っていたので、順序が逆になり何とも辛い思いでした。
★葬儀に続いての初七日から焼き場、そして葬儀場に戻っての祓いの儀迄、懐かしい静岡の友やA君のお姉さんや妹さんなどとの久々の語らいの一時。
★絶対的な矛盾ですが、ここにA君が生きていてくれたらどんなに楽しかったかと思いました。
★A君が身を挺して皆を呼び寄せたような気がします。それが葬儀なのかもしれません。
★でも「死んで花見が咲くものか」の思いは小生には強く、実は大晦日気になってメールか電話をと思いつつ、相手の息苦しい応対を慮って(彼は2年程前から心臓と肺を壊し酸素ボンベに頼っていたのです)遠慮して電話しなかったことが悔やまれました。
★当たり前のことですが、皆さん。
★偉そうに言うわけではありませんが、親しい人とは生きているうちに会い、生きているうちに喋りましょう。それが大切と思わずにはいられません。
★といったわけで、70歳久しぶりの徹夜でくたくになって昨夜9時過ぎに新幹線経由で帰り着き、なんの気力もなく、食べ物を押し込んで、ベットに倒れこんだ次第です。
★2度ほどトイレにおきたものの、約12時間程倒れるように寝ました。
★なんとか、でも本日は疲れながらも回復したので、まだいけるなと思いました。
★俗な言い方でいやなのですが、亡くなった彼の分まで、未だ頑張ろうと思います。
★老害かも知れませんが、皆様今後ともよろしくお願いします。
★後2年半の劇団ギルドの公演と、その後は密かに溜めて温めてもいた小説の完成に向かいあと5年は、憎まれっ子世にはばかりたいと思います。
★もちろんラジオドラマもテレビドラマも映画も機会があれば書きまくる覚悟です。
★みなさんよろしく。
★本日ここまで。お休みではなく、こんにちはベイビー!また今夜遅く。
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