戯曲の審査

★写真は東村山中央公園の秋の風景。
★さて、本日はラジオドラマのダビングを中断して、某戯曲賞の2次審査にかかりました。
★2次という事は1次審査を勝ち抜いてきた作品なので、それなりのポリシーやドラマツルギーがある作品なのかと思ったが、意外にどうして作品が2次に残ったのかと考えさせられるようなものが多い。
★前に言ったとおもうが、テレビ・ラジオのシナリオに関しては例え間違ったことを教えているとしても(実際こういう先生は多い)ある程度基本を教え込まれた人達が応募してくるので、それなりのレベルというものはある。
★処が芝居だけは劇作家協会が通信シナリオ講座をやっているぐらいで、日本の演劇の事情はまったく基礎もへったくれもない人が手を挙げて明日劇団を作って芝居をすると言ってそのようにしても、お客さえ集まれば、そこから芝居は始まる。
★自由でいいと言えばそれまでだが、アメリカおよびヨーロッパでは演劇はこういうことはありえない。
★音楽学校があり美術学校があるのと同等に、演劇学校があるからである。
★日本の演劇学校はごく少なく、日大芸術学部・玉川大学・早稲田大学等ごく一部である。
★それにしては演劇を見る人口は少ない癖にそれをやっている人口はやたらに多い。
★しかもそのほとんどは自己流に基礎勉強も学ぶ事なくやっている。
★したがって、戯曲のコンクールに応募してくる人の中にも、とんでもない事を書いている人が多い。
★演劇は疎外された河原者の芸能の感覚から早く脱却して、小学校乃至は中学校で早く正規の授業にした方がいじめも失くなり、集団で何かを作ることの中から様々な社会性や生き方を学ぶと思うのだが、そういう方向へは行かない。
★戯曲を書く事にに限らず、演出とか演技は素質もさることながら、それは伝承によって鍛えられていく。
★いわゆる職人芸の世界なのである。
★その伝承がない部分だけ、歌舞伎や能狂言大衆演劇にも新劇・及び小劇場は負けていくのである。
★そんなことをコンクールの審査員をやる度に感じる。
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
スポンサーサイト