スターの居た時代。

★写真は今日28日の夕焼けです。
★さて、本日は午後たまたまてれびを見ているとアーカイブで石原裕次郎や小林旭等のかつてのスターの歌の番組をやっていた。
★裕次郎が歌う歌のバックの演奏が実に豪華。若い人にはさっぱりわからないだろうが以下のラインナップである。
★ピアノ 世良 譲/サックス 松本英彦/ベース 小野 満/ドラムス ジョージ川口という超豪華メンバーなのである。それをバックに裕次郎は「嵐を呼ぶ男」等数曲を歌っている。裕次郎40代半ばくらいの映像である。
★日本の高度成長期と重なり裕次郎はバブル絶頂で52歳で死んだとキャスターの鳥越某が当たり前の言い尽くされたような事を言っていたが、そんなことより気になったことがあった。
★裕次郎・旭などが半ばはにかみながら歌を歌い。圧倒的なスクリーンスターであった昭和の時代があったとして、同じ昭和のその後に出てきたTVのスターというのはなんだったか?
★それはたけし・タモリ・さんまというお笑いのスターだった。
★コント55号・ザ・ドリフターズの時代の次に、このお笑いの3巨頭がスターとなってからもう30年ぐらいが過ぎたか。
★裏側はどうあれ、シャイでしゃれていて、それなりに品のあったスターの時代から、お笑いの人間が天下を取るようになって何が変わったか?
★確実に品が失くなったという事である。お笑いに品はどうでもいい、若干の下ネタも含めて品にこだわっていたら人を笑わせる事は出来ない。
★正義と雄々しさとを担った銀幕のスターが一般の人々の願望と夢を担っていたとしたら、お笑い3巨頭にりーどされる時代は、兎に角明るく人を笑わせるという事が大小作用になり、人々の憧れにもなる。
★すると人の品格とか品はどこかに置き捨てられる。電車の中で大口でパンや握り飯を食い。あるいは人前で平気で化粧し、女もまた瓶の口に口をつけて、電車や駅で平気で飲み物を飲む。他人に音が漏れようとどうしようと大音量の音楽をイヤホーンからもらす。
★スターによって文化というかサブカルチャーというか、一般の罪なき人は知らぬ間に影響を受けて、気づかぬうちに品格というものを習慣という気づかぬマンネリの中に埋もれさせてしまうのだ。
★本当の本音を言うと医者までが笑う事が免疫力を高める等と馬鹿な事を言っているが、もうそろそろ40年ほど続いた喜劇の時代は終わりにした方がいいと思う。
★しかしそれが終わると、アイドルという一億幼児性の時代が来るのか?考えるだけで嫌な感じがする。
★幸いにして本日終わった視聴率の高い朝のテレビ小説「あまちゃん」は、品のない喜劇ではなく、ある種人間を見つめたシリアスなドラマだったので、ほっとしている。
★宮藤官九郎は三谷幸喜の品のない喜劇とは全く違う才能を持っている。どうか、変な時流に侵されず、品格ある深い人間ドラマを書いてほしいと願うばかりである。
★実はゴッホの事も書きたかったが後に送る。
★本日これまで。お休みベイビー!また明日。
★人間にとって本当に大切なのは品格なんだよ、分かるねベイビー!
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